安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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自分史

小学校入学の時期が近づいた頃のこと 【沙河20】

登園を拒否し続けて、引きこもり状態の園児だった僕も、小学校入学の準備をしないといけない時期になりました。 それでも、相変わらず一人きりで遊んでいました。 幼稚園に通っていなかったので、ひらがなを他の子どもと同じように書くということができてい…

理系の人間として歩き始めた頃 豊沼-砂川(三十二)

中学生になった頃から、うまく説明できない不安を、時折感じるようになった。それは「いつか、この家を出ていくんだろうなあ」とか、「二一世紀になるときには僕は何をしているんだろうか」ということを考えるようになった。ちょうど時期を同じくして、数学…

砂川の四季 クリスマスを楽しみにしていた頃のこと

こんにちは、暖淡堂です。 昭和40年代の後半、空知平野の北にある砂川には12月初めには根雪が積もりました。 子供だった私は、次第に積もり上がる雪にかこまれて、学校に通い、遊び、そしてクリスマスやお正月のことを考えて暮らしていました。 そして、年末…

幼稚園の運動会で、知らないうちに徒競走に参加していたこと 【沙河19】

その日、幼稚園に連れ出されましたが、他の子供たちとのファーストコンタクトはうまくいきませんでした。 それでも、すぐに帰ることはできず、始まった運動会とは距離をとりながらそこにいました。 幼稚園の先生の提案だったのでしょうか。 気づけば徒競走に…

ギターと教育実習生 豊沼-砂川(三十一)

中学校の体育館は大きくて、薄暗くて、寒かった。入学式、卒業式の時には来賓席近くに暖房器具が置かれていたが、生徒は寒さにじっと耐えていた。生徒用の玄関が体育館にあるステージの向かい側にあった。その玄関の脇に階段があって、それを登ったところに…

幼稚園に連れて行かれた時のこと、運動会への参加 【沙河18】

幼稚園になかなか通えないことに対し、両親、祖父母と幼稚園の先生方との間で時々は相談されていたのでしょう。 幼稚園行事に関するお知らせは家に届いていたようです。 ある日の朝、母は僕に、いつもよりちょっとだけいい服を着せました。 状況に戸惑う僕を…

いつも歌っていた 豊沼-砂川(三十)

中学三年の時の学校祭では、演劇の他に、クラスメート二人を誘って、弾き語りをやった。当時大好きだったアリスの曲を三曲ほど演奏した。緊張したがとても楽しかった。ギターはその頃から今までずっと引き続けている。あまりうまくはならないが。ステージに…

幼稚園に通っていなかったこと、子供の頃の過ごし方 【沙河17】

市街部から離れたところに住んでいたので、幼稚園に通うのが簡単ではありませんでした。 両親は働いていて、決まった時間に送り迎えするのは難しい状況。 祖母も毎日送り迎えすることはできません。 また、子供の頃の僕は、同年代の友人を作るのが得意ではあ…

中学の学校祭のこと 豊沼-砂川(二十九)

毎年秋に、学校祭があった。演劇や合唱の発表をクラスごとに行った。また父母も参加し、軽食を出す店を開いたり、バザーを行ったりした。中学三年生の時の演劇をよく覚えている。友人と二人で、いつの間にか演出をする担当になっていて、クラスメートの演技…

お正月準備でたくさんの鰊、鰯を買っていたこと 昭和の北海道砂川での暮らし 【沙河16】

祖母は冬が来る前に、決まってしている作業がありました。 漬物を漬けたり、鰊や鰯を大量にさばいたり。 雪が降りそうになると、ジャガイモなどを土に半分埋まるようにして、その上に稲藁を被せたりしてもいましたね。 猫が祖母にすり寄り続ける時季でもあり…

用務員さんの飼っていた犬との小さな攻防のこと 豊沼-砂川(二十八)

中学校の校舎は鉄筋コンクリート製だった。小学校と同じく、生徒が増え続けている時期に建てられたもので、僕が通っていた頃にはたくさんの教室が使われていなかった。廊下の端には、造りかけで放置されたように鉄筋が突き出したままだった。 その頃、校舎の…

子供の頃の夢や希望はどのくらい実現されたか

子供の頃にはいろんな夢をみていた気がします。小学生の頃、中学生の頃、高校や大学で、それぞれ想像できる範囲で自分の将来や希望などを思い浮かべていたかと。 で、ライフプランを考えるのに参考になるテキストをパラパラとめくっていると、子供の頃の夢を…

砂川の実家で飼っていた動物たち 鶏の思い出 【沙河15】

子供の頃、家で飼っていた動物のことを覚えています。 馬や犬、猫がいました。一番賑やかだったのが鶏ですね。 祖母が鶏小屋を作って、そこで飼っていました。 時々小屋の外にも出していました。今でいうところの地鶏でしょうか。 それを僕が追いかけている…

毎年の早春の雪割作業 これをしないと連休までテニスコートが使えない 豊沼-砂川(二十七)

冬は、テニスコートは雪に厚く覆われた。春は部員がスコップを使って雪割りをした。陽に当たる面積を増やして、早く溶かそうというのだ。溶かして、結局は遊ぶだけだったのだが。当然、あまりまじめにはやらない。雪割りをしていると、教室の窓を開けて顔を…

親戚の家で起こった事件 旭川鷹栖の犬 【沙河14】

祖父母に連れられて、親戚の家に行くと、楽しかったのか、ちょっと舞い上がった状態になり、いくつか失敗をしてしまいました。 それらの事件は、親戚の家に行くたびに話題になり、恥ずかしい思いをしたものです。 ただ、誰もが朗らかに対応してくれていたの…

これでテニスがうまくなっていたら奇跡だ 豊沼-砂川(二十六)

学校のテニスコートの脇に草むらがあり、練習中よくそこにボールが飛んでいった。僕たちはその草むらでボールを探した。時々、古くなったボールが見つかった。古いボールは汚れていたので、手で触るのが嫌だった。それで、テニスラケットですくい上げるよう…

旭川、鷹栖の親戚の家のこと 昭和の頃は、旭川が大都会に思えたこと 【沙河13】

小学校に入学する前は、祖父母に連れられて、よく親戚の家に行きました。 祖父や祖母の家系は、入植後、道北の旭川、士別、比布あたりに住んでいました。 祖父母によく連れて行ってもらった親戚の家は、多くが旭川や鷹栖の周辺。 広い田圃の中に家がポツリポ…

中学校での部活のこと 豊沼-砂川(二十五)

中学入学から少しして、僕はテニス部に入った。一年先輩の部員に廊下で勧誘されたのだ。練習はきつくないというので入部することにした。嫌だったらやめようと思っていた。練習は確かにきつくなかった。そして、テニスが上手になることも、強くなることもな…

祖母の昔話 戦前、戦中の北海道の面影 【沙河12】

小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。 祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。 北海道への入植の時期を判断する重要な情…

宇宙の涯や、遠い未来や過去を想像するのが好きだった 豊沼-砂川(二十四)

理科だけは好きだった。好きだったので、授業の内容はよくわかった。試験の成績がよかったとはいえないが。おそらくは当時よく観ていたテレビ番組のおかげだと思っている。宇宙やミクロの世界や未来や遠い過去のことを考えていることが多かった。この理科好…

祖父母の部屋、そこで聞いた昔話など 【沙河11】

北海道の砂川市で生まれてから高校を卒業するまでのことを振り返っています。 昭和の頃の様子なども思い出せる範囲で書いています。 僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。 母が外に働きに出ていたからかもしれません。 祖母と話を…

数学がわかるようになった日の記憶 豊沼-砂川(二十三)

数学がわかる 数学も、はじめ不得意だった。何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。それでも、いつまでもわからないのが辛いので、やさしそうな参考書を一冊買ってきて、それをはじめからゆっくりと学習してみた。考え方、問題の解き方がていねい…

思いがけないものに落ちたこと 【沙河10】

昭和40年代、深川の町外れ、国道12号線沿いに温泉施設がありました。 そこに家族で何度か出かけています。 その大浴場でも深みにハマって溺れかけたことがあります。 家族で出かけられる温泉施設はたくさんありましたね。 奈井江、浦臼、上砂川、深川などへ…

豊沼中学校 豊沼-砂川(二十二)

砂川市立豊沼中学校閉校記念誌「とよぬま」平成6年10月22日発行より 中学に入ってからしばらくは成績が悪かった。初めての中間試験ではよい点数が取れなかった。成績は小学校の頃からよくなかった。勉強の仕方がわからなかったのだ。 特に、中学になってから…

子供の頃、よく水に落ちたこと 【沙河9】

子供の頃は、よく水に落ちました。 いつも近くに誰かがいてくれて助かっています。 もし一人きりだったら、ダメだったかもしれないと思われることもあります。 水の中から明るい空を見上げていた記憶があります。 他の時の記憶と混じっているのかもしれませ…

小学生の頃に、すでに理系だった 豊沼-砂川(二十一)

小学校時代は得意だった科目は一つもない。国語や算数など、問われている内容がまったくわからなくて、先生に当てられても答えられないことが何度もあったように思う。言葉の意味がよくわからなかった気がする。それでも、好きだった科目はあった。理科と、…

母方の祖父母のこと、新十津川で過ごした昭和の農家の家 【沙河9】

新十津川にあった母親の実家は、冬には暑い雪に埋もれていました。 雪が積もると自動車は使えなくなって、足で雪を踏み固めた細い道を伝って行き来をしていました。 馬そりで移動していたところもあるようです。 真冬には広い田圃が一面の雪原になってしまい…

なくなってしまった木造校舎 豊沼-砂川(二十)

その小学校は、僕が大学に通っている頃に取り壊され、新しい校舎が建てられた。もとの校舎よりずっと小さなものになった。当然かもしれないが、僕はその新しい校舎にはまったく愛着はない。なくなってしまった、あの古い木造校舎だけが僕の通った豊沼小学校…

新十津川にあった母の実家で過ごした時のこと、従姉妹たちの部屋 【沙河8】

妹が生まれたとき、1週間ほど母の実家に預けられていました。 一人きりで母方の祖父母や叔父叔母、従姉妹達と過ごしていました。 みんな優しい人たちだったので、とても安心していたように思います。誰もが僕よりもずっと大人でした。 僕も、寂しがる様子も…

暗い教室にあったマネキン人形のこと 豊沼-砂川(十九)

普段使われていない教室は、学芸会の劇や遊戯の練習場所として使われることがあった。そもそもなんのために置かれているのかわからなかったが、そんな教室の一つにショーケースがあり、その中にマネキン人形が置かれていた。ある日の放課後、同級生と遊戯の…

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