祖母は冬が来る前に、決まってしている作業がありました。
漬物を漬けたり、鰊や鰯を大量にさばいたり。
雪が降りそうになると、ジャガイモなどを土に半分埋まるようにして、その上に稲藁を被せたりしてもいましたね。
猫が祖母にすり寄り続ける時季でもありました。
僕も、祖母を手伝うでもなく、猫と同じように祖母の周りで遊んでいました。
大量の魚が紐に吊るされている間は、家の周りが魚臭くなっていましたね。
お正月、自家製の数の子は、よく食べていました。
しょっぱくて、ちょっとニシンの油が煙臭いような感じもして。
それでも大好きでした。
今でも正月には食べたくなります。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (八)②
冬になる前に、鰊や鰯を木箱でいくつも買い、それを祖母が捌いて乾していた。
乾した魚は冬の間の食糧となった。鰊の漁獲高は終戦後に激減していたが、北海道では鰊は安価で入手が容易な魚だった。
納屋と鶏小屋の間に紐を張り、それに捌いた魚を吊るした。飼っていた猫がその周りをウロウロしていた。
時間や手間はかかったが、祖母が元気な間は、冬になる前には決まって鰊を買って捌いていた。貴重な蛋白源だったのだ。
鰊の卵も取り出されて乾された。それから塩漬けにされた。それらは正月には塩抜きされ、それから醤油と酒に浸けられた。鰊の油の臭みが残った、粗野な味わいの数の子になった。
私はそれを、子供の頃から好んで食べた。鰊は漬物にも入れられた。大人はそれを好きだったようだが、私はどうしても食べられなかった。
「沙河」(暖淡堂書房)から
*☺☺☺☺☺*
僕の妻は小樽出身。
お正月にはもっと新鮮な魚介類を食べていたようです。
今度のお正月は、美味しい数の子が食べられるかな。
お正月準備でたくさんの鰊、鰯を買っていたこと
昭和の北海道砂川での暮らし
【沙河16】
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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