安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかな暮らしのために

百人一首の歌人

「誰をかも知る人にせむ高砂の」 藤原興風 長寿の寂しさも詩情とする

百人一首第34番目の歌の作者は藤原興風おきかぜです。 三十六歌仙の一人です。 今回は藤原興風について紹介します。 藤原興風とは 生没年は不詳です。 この百人一首の歌の通りであれば、長寿の人だったと思われます。 最終の官位は正六位上でした。 和歌の実…

「ひさかたの光のどけき春の日に」 紀友則 散る桜に心を奪われる都人

百人一首第33番目の歌の作者は紀友則。 古今和歌集の選者で、三十六歌仙の一人でもありました。 また、紀貫之の従兄弟にあたります。 今回は紀友則について紹介します。 紀友則とは 生年は845年頃、没年は907年。 最終の官位は六位で、役職は大内記でした。 …

「山川に風のかけたるしがらみは」 春道列樹 見立てで歌う秋の彩り

百人一首第32番目の歌の作者は春道列樹はるみちのつらき。 平安時代前期の歌人でした。。 今回は春道列樹について紹介します。 春道列樹とは 生年は不明、没年は920年とされています。 910年に文書生となり、その後太宰大典となり、さらに壱岐守に任じされま…

「朝ぼらけ有明の月と見るまでに」 坂上是則 白雪の降り積もる吉野の里

百人一首第31番目の歌の作者は坂上是則。 三十六歌仙の一人です。 今回は坂上是則について紹介します。 坂上是則とは 生年は不明、没年が930年頃。 大和大掾に任じられていますので、それで吉野への愛着が強かったのかもしれません。 最終官位は従五位下・加…

百人一首の時代 第21歌から第30歌まで まとめ

百人一首の第21歌から第30歌までをまとめます。 時代背景としては、都では藤原北家の権勢の拡大、東国では荘園制度から武士勢力の台頭、西国では大陸との貿易で力をつけた民が、それぞれの動きを活発化させていたことが注目されます。 そんな流れのなかで、…

「有明のつれなく見えし別れより」 壬生忠岑 定家が「名歌」という一首

百人一首第30番目の歌の作者は壬生忠岑です。 36歌仙の一人です。古今和歌集の選者でもありました。 今回は壬生忠岑について紹介します。 壬生忠岑とは 生年860年頃、没年が920年頃。 前回の凡河内躬恒とほぼ同じ時代の人です。 和歌の才能は高く評価されて…

「心あてに折らばや折らむ初霜の」 凡河内躬恒 古今和歌集の選者の一人

百人一首第29番目の歌の作者は凡河内躬恒おおしこうちのみつねです。 36歌仙の一人であり、古今和歌集の選者でもありました。 今回は凡河内躬恒について紹介します。 凡河内躬恒とは 生年859年は、没年が925年といわれています。 甲斐、丹波、和泉、淡路など…

「山里は冬ぞ寂しさまさりける」 源宗于朝臣 光孝天皇の孫 臣籍降下について

百人一首第28番目の歌の作者は源宗于みなもとのむねゆき朝臣あそんです。 光孝天皇の孫にあたります。 今回は源宗于朝臣について紹介します。 源宗于朝臣とは 生年は不詳、没年が940年です。 894年に源の姓を与えられ、臣籍降下、つまり皇族を離れて天皇に仕…

「みかの原わきて流るるいづみ川」 中納言兼輔 風雅な交流の中心だった紫式部の曽祖父

百人一首第27番目の歌の作者、中納言兼輔こと、藤原兼輔です。 紫式部の曽祖父にあたる人物です。 今回は中納言兼輔、藤原兼輔について紹介します。 中納言兼輔こと藤原兼輔とは 877年に生まれ933年に亡くなっています。 享年57。 醍醐天皇に仕え、最終官位…

「小倉山峰の紅葉ば心あらば」 貞信公 権勢の中心にいるものの歌

百人一首第26番目の歌の作者は貞信公、藤原忠平です。 藤原北家が権勢を極める第一歩を踏み出した人です。 今回は貞信公、藤原忠平について紹介します。 貞信公、藤原忠平とは 藤原忠平は、菅原道真と対立した藤原時平の弟。菅原道真を太宰府に左遷しました…

百人一首の歌人たちが生きた時代 動乱と変革の果て

飛鳥川 こんにちは、暖淡堂です。 週に1回のペースで百人一首の歌人たちを紹介しています。 普通に一首ずつ、その和歌としての読みを説明するのではなく、それぞれの歌人たちが生きた時代を俯瞰できるような記事にしようと考えています。 その理由は、百人…

「名にし負はば逢坂山のさねかづら」 三条右大臣 風雅を愛する高官の一首

百人一首第25番目の歌の作者は三条右大臣、藤原定方です。 醍醐天皇、宇多天皇、朱雀天皇に仕えました。 今回は三条右大臣、藤原定方について紹介します。 三条右大臣、藤原定方とは 873年生まれ、932年没との記録が残っています。藤原北家勧修寺流の人です…

「このたびは幣も取りあへず手向山」 菅家 宇多上皇の御幸で

百人一首第24番目の歌の作者は菅家。菅原道真です。 藤原氏と対立し、左遷されるまでは天皇や上皇の近くにいて、その才能を愛されていました。 今回は菅家、菅原道真について紹介します。 菅原道真とは 845年生まれ、903年没です。学者で参議にまで上った菅…

「月見れば千々にものこそ悲しけれ」 大江千里 故事によせた哀詩

百人一首第23番目の歌の作者は大江千里です。 中古三十六歌仙の一人で、漢学者でもありました。 今回は大江千里について紹介します。 大江千里とは 在原行平、在原業平の甥ともいわれています。 生没年は不明ですが、清和天皇から醍醐天皇まで続けて仕えてい…

「吹くからに秋の草木のしほるれば」 文屋康秀 小野小町に向けた優しさ

百人一首第22番目の歌の作者は文屋康秀ふんやのやすひでです。 六歌仙の一人で、小野小町とも親交があったとされています。 今回は文屋康秀について紹介します。 文屋康秀とは 生没年などは不明ですが、877年、880年頃に任官していますので、9世紀末頃の人…

「今来むと言ひしばかりに長月の」 素性法師 父に導かれ僧侶となった

百人一首第21番目の歌の作者は素性法師です。 僧正遍昭の子で、父の勧めで出家ししました。 今回は素性法師について紹介します。 素性法師とは 生没年は不明ですが、9世紀末から10世紀にかけて生きた人です。 清和天皇の時代に左近将監まで昇進したようです…

第1歌から第20歌までをまとめます

百人一首の選者、藤原定家は1162年の生まれ。 時代は保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)を経て、平清盛が強大な権力を持ちつつあった頃でした。 その後、藤原定家は平氏の滅亡、鎌倉幕府の成立、承久の乱による後鳥羽院の配流などを見ながら、自らは和…

「わびぬれば今はた同じ難波なる」 元良親王 悲劇の皇族の恋歌

百人一首第20番目の歌の作者は元良親王です。 陽成院の第一子でしたが、父の退位後に生まれています。 天皇に即位する可能性はほとんどありませんでした。 陽成院は藤原基経との対立で退位させられた人でしたね。 今回は元良親王について紹介します。 元良親…

「難波潟短き蘆の節の間も」 伊勢 恋多き才女

百人一首第19番目の歌の作者は伊勢。 藤原北家の一人、伊勢守藤原継蔭の娘といわれています。 それで伊勢。 今回は伊勢について紹介します。 伊勢とは 宇多天皇の女御で藤原基経の娘温子に仕えます。 その間、温子の兄弟と相次いで恋愛関係になります。 また…

「住の江の岸に寄る波よるさへや」 藤原敏行朝臣 繰り返し押し寄せる恋心

百人一首第18番目の歌の作者は能書家としても有名な藤原敏行朝臣。 多くの人から頼まれて二百部あまりの法華経を書写したといわれています。 今回は藤原敏行朝臣について紹介します。 藤原敏行朝臣とは 藤原姓ですが、藤原南家の人。この頃の権勢の中心にい…

「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」 在原業平 才人の振る舞いに潜む反骨心

百人一首第17番目の歌の作者は在原業平。 16番目の歌の作者在原行平の弟です。 兄弟の歌が並んでいるのですね。 在原業平は「伊勢物語」の主人公と考えられている人物です。 今回は在原業平について紹介します。 在原業平とは 時代背景 百人一首の歌 在原業…

「立ち別れいなばの山の峰に生ふる」 中納言行平(在原行平) 別れの情景を詠う

百人一首第16番目の歌の作者は中納言行平(在原行平)。 在原業平の兄です。 因幡守として赴任する時に詠んだ歌が百人一首に選ばれています。 今回は中納言行平(在原行平)について紹介します。 中納言行平(在原行平)とは 時代背景 百人一首の歌 中納言行…

「君がため春の野に出でて若菜摘む」 光孝天皇 優しい思いやりの歌人

百人一首第15番目の歌の作者は光孝天皇。 皇子の頃に詠んだ歌が百人一首に選ばれています。 光孝天皇は、先に紹介した陽成院が若くして退位した後に即位した天皇。 その時の年齢は55歳だったようです。 今回は光孝天皇について紹介します。 光孝天皇とは 時…

「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに」 河原左大臣こと源融 光源氏のモデルの一人

第14番目の歌の作者は河原左大臣こと源融。 嵯峨天皇の皇子の一人ですが、臣籍に下り源姓を名乗りました。 恋多き人だったようで、光源氏のモデルの一人とも言われています。 今回は河原左大臣こと源融を紹介します。 河原左大臣とは 時代背景 百人一首の歌 …

「筑波嶺の峰より落つるみなの川」 陽成院 綏子内親王への恋歌 藤原一族の権力闘争の影に

第13番目の歌の作者は陽成院。 第57代陽成天皇が退位後上皇として過ごしていた間に読んだ歌です。 恋歌で宇多天皇の妹の綏子内親王に送ったものと言われています。 今回は陽成院を紹介します。 陽成院とは 時代背景 百人一首の歌 陽成院とは 陽成院は清和天…

「天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ」 僧正遍昭 彩のある歌を詠む

第12番目の歌の作者は僧正遍昭。 出家前は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、六歌仙、三十六歌仙に選ばれた一人でした。 宮中の行事で舞を舞う少女たちのことを詠んだ歌で、彩のある、とても華やかな内容のものです。 今回は僧正遍昭紹介します。 僧正…

「わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと」 参議篁(さんぎたかむら) 清廉潔白な、矜持の人

参議篁は「篁物語」のモデルになった人。 ja.wikipedia.org 残した歌に基づき、恋愛物語風に書かれているものです。 篁物語は以下の書籍に収録されています。 平安時代物語選要 - 国立国会図書館デジタルコレクション 今回は参議篁について紹介します。 参議…

「これやこの行くも帰るも別れては」 蝉丸 盲目の琵琶法師が行き交う人たちに思う

百人一首の第十歌の歌人は蝉丸です。 夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズにも時々登場します。 ご存知の方も多いかと。 今回は蝉丸について紹介します。 蝉丸とは 時代背景 百人一首の歌 蝉丸とは 盲目の琵琶法師だったと伝えられています。逢坂の関(山城国と…

「花の色はうつりにけりないたづらに」 小野小町 情熱的な恋愛歌の作者

百人一首の九首目の作者は小野小町。 前の喜撰法師と同じく、九世紀頃に生きた人です。 小野小町、名前は知っている人も多いかもしれませんね。 今回は小野小町について紹介します。 小野小町とは 時代背景 百人一首の歌 小野小町とは 名前から小野氏の娘で…

「わが庵は都の辰巳しかぞ住む」 喜撰法師 飄々とした世捨て人

百人一首の八首目の作者は喜撰法師。 九世紀頃の人で、小野小町などと同時代に生きたと考えられています。 今回は喜撰法師について紹介します。 喜撰法師とは 時代背景 百人一首の歌 喜撰法師とは 宇治の御室戸の奥に住んでいたようです。 鴨長明の「無名抄…

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