小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。
祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。
北海道への入植の時期を判断する重要な情報になったはずです。
砂川の高校を卒業した後、旭川の大学に通いました。
社会学の講義が終わった時、教授の先生から声をかけられました。
僕が書いた試験の答案の内容に関心を持ったようでした。
答案には、祖母から聞いた話の一部を書いたように記憶しています。
祖母に追加で話を聞いてみてほしいということでした。
その頃、祖母は入院していて、あまり長い時間話はできなかったのですが、それでも聞けた範囲でレポートにして先生に提出しました。
祖母からは、北海道の開拓時代、重労働をさせられていた人々の話を聞いていました。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (六)②
私は便秘をしがちだった。それで、祖母は夜、私が寝るまでお腹をさすってくれた。
そうしながら、たくさん話を聞かせてくれた。自分の子供の頃のこと、家族のこと、奉公先での出来事、北海道に移住した頃のこと。祖父も時々は、話を聞かせてくれた。
私は祖父母から話を聞いていたので、家族の歴史には詳しくなった。家系をほんの数代遡ることが出来るだけだが。
それから、アイヌの話、戦争中の身近で起こった事件など。土木工事現場や炭鉱で強制労働させられていた人が脱走して、一時家の中に逃げ込んで来たことなども聞いたことがある。
共産党員の人だったらしい。凶暴な素振りはなく、むしろ礼儀正しく、しばらくすると出て行ったそうだ。
我が家は北海道内を数か所移転していたので、それぞれの話がどの地でのことかはっきりはしない。それでも、強制労働で作られたという道路や灌漑溝はすぐ近くにあった。炭鉱もまだ盛んに採掘を続けていた。中国や朝鮮の人も近所に住んでいた。そして時々不意に引っ越して、いなくなった。
祖母が話してくれた出来事はみな、どこか遠くで起きた、ただの昔話ではなかったと思う。
「沙河」(暖淡堂書房)から
*☺☺☺☺☺*
戦前、戦中の北海道には、中国や朝鮮などから来ている人がたくさんいたようです。
僕の子供の頃にも、近所に数軒、それらの国の人が住んでいました。
普通に暮らしていたように思いますが、いつの間にか、みんないなくなってしまいました。
大体、炭鉱の閉山が続いた時期だったように思います。
祖母の昔話 戦前、戦中の北海道の面影 【沙河12】
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