入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。
母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。
母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。
ある夜、突然大きな鳴家が聞こえて、家にいたものは皆目を覚ましました。
ちょうど祖父が亡くなった頃のことだったようです。
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十三)①
祖父が亡くなったとき、父と母は病院に行っていた。
祖母は病室で付き切りの看病を続けていた。私は妹と家にいた。
母の実家から祖父母が家に来て留守番をしていた。私も妹も小学生で、私が五年生、妹が三年生だった。子供だけで家の留守番をさせるのが心配だったのだろう。母が頼んで、来てもらっていた。
天候は下り坂で、蒸し暑い夜だった。
まだ学校は夏休みだった。私と妹は二階の寝室で布団を並べて寝ていた。
祖父母は下の階を使っていた。
夜中、大きな家鳴りがした。家の中のどこかが不意に軋んで、何かがぶつかったような大きな音を立てた。私はそれで目を覚ました。妹も起きたようだった。下の階に寝ていた祖父母の話し声が聞こえた。おそらく同じ音を皆で聞いたのだ。
私の家は、時折家鳴りした。家族は家鳴りを聞くたびに、これは親戚の誰かが何かを伝えに来ているのだといった。子供の頃の私は、それを信じていた。
しばらくして、父と母が車で帰って来た。
そして祖父が亡くなったと教えてくれた。
葬儀の手配などを始めるので、留守番に来てくれていた母方の祖父母は一度帰ることになった。父が車で送って行った。
夜明け前で、まだ暗かった。
私と妹はその後、また布団に戻り、朝まで寝ていた。
「沙河」(暖淡堂書房)から
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次回は昭和の頃の、北海道の農村地区での葬儀の様子を紹介します。
引き続きよろしくお願いします。
小学生の高学年の頃の家族の様子
祖父のこと 【沙河25】
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