安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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自分史

夜中聞こえていた遠い声 暗い中での捜索 【沙河36】

近所の大人たちが夜遅くまで、外で何かを探しているようでした。 呼びかけるような声が、寝ている僕にもずっと聞こえていました。 なにが起こっていたのかは知らされていませんでした。 いつもと違う、とても不安な夜でした。 【沙河】昭和五一年~昭和五二…

小学生の頃に起こった、とても寂しく、悲しい出来事のこと 【沙河35】

小学生の頃の、一番悲しい出来事です。 今でも時々思い出したりします。 のんびりとした田舎でしたが、事件といってもいいようなことも起こりました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 通学に使っていた道路は、車がほとんど走っていなかった。私…

学校の天井裏での冒険 午後の教室 【沙河34】

通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕…

小学校の木造校舎のこと 大きくて、ところどころに暗がりがあって 【沙河34】

僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一…

昭和58年の大学新歓コンパ それは「疾風怒濤」の時代の始まり(*個人の感想です)

こんにちは、暖淡堂です。 昭和58年に大学に入学し、旭川で一人暮らしを始めました。 初めてアパートで一人きりで過ごし、大学の入学式やオリエンテーションも、自分で身支度して出かけました。 ちょっと事情があって、入学式にはスタジャンとジーンズで参加…

一本線のジャージが着たかった 仮面ライダー2号への憧れ

こんにちは、暖淡堂です。 小学生の頃、腕や足の部分の横に一本線が入っているジャージが着たかったです。 その理由は「仮面ライダー2号」のカッコ良さに憧れたから。 仮面ライダーと線の数 線の数と仮面ライダーとの関係を整理すると以下の通りです。 仮面…

遊んでいた時の事故と、大人たちのおおらかな対応 【沙河33】

子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対…

駅前のロータリーで遊んだこと 三角ベースボールの思い出 【沙河32】

祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に…

大雨による水害と、葬儀の後のこと 【沙河31】

葬儀が終わると、遠くから来ていた親戚は、一度我が家に移動しました。 簡単な食事をして、お酒を飲む人たちは改めて飲み直しました。 それから帰る人と、そのまま家に泊まる人に別れて、家に泊まることになった人たちはさらに飲み続けました。 雨は止んでい…

告別式から火葬場への移動まで 雨の降り続いた一日 【沙河30】

通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。 生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。 曹洞宗なので、おそらく般若心経も唱えられていたのでしょうね。 「ギャーテイギャーテイ」と言っていたような気もします。 当時は、お経の意味はもちろん解…

泣いていた祖母 豊沼-砂川(四十二)

大学のある街への引越し当日は曇っていて、時折雪が降っていた。父の車に一人暮らし用に必要なものを詰め込んで、大学のある街に向かった。父母と妹、それに僕の四人が車に乗って出かけた。祖母は家に残った。玄関で僕たちの出発を静かに見送っていた。車が…

お通夜での食事と、そこで話されたこと 鳴家のこと 【沙河29】

祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。 特に鳴家やなり に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。 「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いく…

自意識と葛藤 豊沼-砂川(四十一)

高校三年間を通じて、僕はずっと母親に髪を切ってもらっていた。当時はとても見た目を気にしていた。それなのに、床屋にいって、好みの髪型を説明するのがとても面倒くさかった。また、それが恥ずかしくもあった。自分が周囲からどう見られたいのかを、他人…

お寺でのお通夜 台風が接近して天候が悪化したこと 【沙河28】

最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものが…

とても寂しい思い出と石狩川 豊沼-砂川(四十)

石狩川に関して、とてもさみしい思い出がある。小学校の同学年だった女の子が、彼女の母親と一緒に入水自殺したのだ。 小学校五年か六年の頃だったと思う。僕は通夜にいった。明るい部屋に、たくさんの人がいたが、誰もが黙り込んでいた。地元の子供会が同じ…

祖父の葬儀、とても寂しそうだった祖母の様子 【沙河27】

夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。…

そして、石狩川 豊沼-砂川(三十九)

石狩川は、台風が近づくと、氾濫が心配された。大きな堤防が造られていたが、それでも何度も川の水が溢れた。 祖父のなくなった日、夏の終わりの台風が来た。通夜の夜、激しく雨が降った。葬儀の日には石狩川が溢れた。そこここで道路が冠水した。その台風で…

祖父の入院と危篤になった夜のこと 【沙河26】

入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜など…

砂川を象徴する川のこと 豊沼-砂川(三十八)

砂川の街を象徴する川が二本ある。街中を流れるパンケ歌志内川と街の西側を流れる石狩川である。 砂川の街にまだ石炭産業の名残のあった頃、パンケ歌志内川を流れる水は時折真っ黒になった。上流にある炭鉱の近くで、掘り出した石炭を洗っていたらしい。その…

小学生の高学年の頃の家族の様子 祖父のこと 【沙河25】

小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そ…

砂川を離れる、少し前 豊沼-砂川(三十七)

砂川は、僕が生まれてからは、人口が減り続けた。祭りの規模が次第に小さくなった。工場に勤める人たちが家族とともに住んでいた社宅団地も、空き家が増えていった。 商店街も寂しくなっていった。中央市場と呼んでいた長屋のような商店街も閉まっている店舗…

図書室で本を借りて読むことを覚えた頃 【沙河24】

学校には図書室という部屋があって、たくさんの本が並べられているということを知りました。 それ以来、図書室は学校の中での一番のお気に入りの場所になりました。 小学校は木造の校舎で、炭鉱での採掘が盛んだった頃に建てられていたもので、とても大きな…

教師の好き嫌いが強く出ていた頃 豊沼-砂川(三十六)

高校二年と三年のときの、僕らのクラスの担任の教師を、ずっと嫌いだった。言葉使いで、その教師の考え方が見える気がした。それが、嫌だった。その教師の受け持ちの教科が数学だったことが、その嫌いだという思いをさらに強くさせたのかもしれない。僕から…

小学校で初めてできた友達のこと 【沙河23】

いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】昭和四〇年~昭和…

大学進学の方向性を考えていた頃 豊沼-砂川(三十五)

高校に入っても、数学と科学、科学の中でも特に化学が好きだった。数学は急に難しくなったが、中学のときの経験が活きて、うまく乗り切れた。化学は、教師ともうまく馴染めたのがよかった。授業時間以外にも教師と話をした。化学クラブがあったが、正式には…

母と二人で行った小学校の入学式 タイツについた泥はね汚れ 【沙河22】

ついに小学校の入学式の日が来てしまいました。 朝から小雪の舞う、寒い日でした。 小学校には母親と二人で出かけました。 雪解けの水で、道はぬかるんでいました。 半ズボンの下にはいた白いタイツに泥水が跳ねたのを、母親は気にしていました。 入学式が終…

自分の将来に対する漠然とした不安 豊沼-砂川(三十四)

高校では、クラスメートとうちとけるということがほとんどなかった。ごく少数の友人と、高校三年間を通じて付き合っただけだった。部活動もまじめにはやらなかった。演劇部のお手伝いのようなことはやった。学校祭での発表や高文連への参加の準備は楽しかっ…

北海道の春、小学校入学直前の頃のこと 【沙河21】

いよいよ小学校入学時期が迫って来ました。 家の中でヌクヌクと過ごす最後の冬です。 雪の多い冬だったように記憶しています。 いつも一人きりで雪の中で遊んでいました。 その冬も終わり、春じわりと近づいて。 暖かな風が吹く頃になりました。 【沙河】昭…

心が急激に成長していた頃 そして不安定だった 豊沼-砂川(三十三)

まだ木造校舎だった頃の砂川南高校に入学した。新校舎の建築が高校二年の頃に始まり、高校二年の後半は新校舎を使った。全学年が新校舎に移ったのは、その翌年だった。新校舎は明るくきれいだったが、好きにはなれなかった。うまく表現はできないが、例えば…

小学校入学の時期が近づいた頃のこと 【沙河20】

登園を拒否し続けて、引きこもり状態の園児だった僕も、小学校入学の準備をしないといけない時期になりました。 それでも、相変わらず一人きりで遊んでいました。 幼稚園に通っていなかったので、ひらがなを他の子どもと同じように書くということができてい…

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