安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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小学生の高学年の頃の家族の様子 祖父のこと 【沙河25】

北海道砂川で過ごした昭和の日々

  

小学校高学年の頃の思い出を綴ります。

家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。

色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。

それでもまだまだ子供でしたが。

 

今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。

そして、普段やっていることがとても似てきました。

夕方、テレビを観ながら晩酌というのは、祖父の習慣でもありました。

僕も晩酌をするようになっています。

テレビに向かって時々話しかけたりもします。

そのあたりもとても似てきました。

  

【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十二)

  

 祖父が亡くなった。私が小学校に入学した頃から体調を崩しがちになり、入退院を繰り返していた。入院している間は祖母が泊まり込みで看病していた。

 長い間、町の中にある大きな化学工場で電気配線工事の下請け仕事を続けていたが、それを数年前に辞め、自宅で田圃や畑の世話をして過ごしていた。

 

 夕方になると、テレビの前に自分の席を作り、焼酎を飲みながら好きな番組を観ていた。

 その頃の我が家のテレビは白黒だった。祖父は相撲が始まると必ず放送開始から全取り組みが終わるまでテレビの前を離れなかった。

 祖母も夕食の支度をしながら、手が空くと祖父の隣に座った。二人のお気に入りの力士は初代の貴乃花だった。

 

 時代劇の再放送もよく観ていた。相撲の放送がなければ水戸黄門だった。

 水戸黄門役は東野英治郎、助さん格さんは杉良太郎横内正だった。初め、テーマ曲はオーケストラのみだったが、後、杉良太郎の歌が入り、その後は歴代の助さん格さんが歌うようになった。そんなことを覚えてしまうくらい、何度も繰り返し観ていた。

 

 夕方のその時間帯には、子供向けの番組も放送していた。

 ウルトラマン仮面ライダーの再放送だった。それが終わるとトムとジェリーが放送された。相撲の取り組みが盛り上がる時間帯と重なっていたので、私は子供向けの番組を観られなかった。

 時々、どうしても観たい日があった。偽ウルトラマンが登場したり、仮面ライダー一号と二号がそろって悪人たちと戦ったりする特別な日だ。再々放送ではあったが。

 

 そんなとき、私は祖父にそれを観させて欲しいと頼んだ。大体は観させてくれたが、駄目なときもあった。祖父にも、どうしても観たい取り組みがあったのだろう。

 私は愚図った。祖母が来て、私の味方をしてくれた。

 祖父は唸るような声を出して、椅子の肘掛を叩いた。祖母は、子供を叩く気かと怒り出した。祖父は諦めて、私にチャンネル権を渡してくれた。

 テレビの放送を録画することが出来なかった頃のことだ。

 

 祖父母は孫にはとても優しかった。

 祖母は一緒に遊んだり、親戚の家に出かける時には連れて行ってくれたりもした。

 祖父も、私が外で遊んでいる時には側にいてくれた。体調を崩した後は、言葉が不明瞭になり、思い通りに話すことがむずかしくなった。時々はそれに苛ついたのだろう、大きな声を出すようになった。祖父が患ったのは脳軟化症だった。

 

 その声を、近所の子供たちは怖がった。怒っているように聞こえるのだ。

 祖父ちゃんが来るぞ、といえば、子供たちは皆逃げた。逃げて走る子供たちの姿を見る祖父の目は寂しそうだった。祖父は、とても優しかったのだ。

    

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

   

*☺☺☺☺☺*

    

祖父は近所の人々から尊敬され、子供たちからは怖がられていたように思います。

なんでも自分でできた人だったかもしれません。

僕は祖父が建てた家の中で育っていましたが、それを知ったのはずいぶん後のことでした。

  

小学生の高学年の頃の家族の様子

祖父のこと 【沙河25】

 

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