子供の頃、家で飼っていた動物のことを覚えています。
馬や犬、猫がいました。一番賑やかだったのが鶏ですね。
祖母が鶏小屋を作って、そこで飼っていました。
時々小屋の外にも出していました。今でいうところの地鶏でしょうか。
それを僕が追いかけているところの写真がありました。
小学生になる頃まで鶏はたくさんいたと思います。
祖父の体調が悪くなり、看病をしなければならなくなって、飼うのをやめたようです。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (八)①
我が家でも犬を飼っていた時期があるようだ。私はそれを覚えていない。
赤犬だったらしい。父はよく、赤犬はうまいなどといっていた。赤犬がいなくなったことと、なにか関係はあるのだろうか。
犬小屋があった場所は、私が家の周りで遊ぶようになった頃には堆肥場になっていた。
馬がいたことは写真で知っている。その写真には、馬に引かせた橇を操る祖父の姿が写っていた。
鶏のことはよく覚えている。
庭で放し飼いになっていた鶏を追いかけまわしていた。時折は捕まえることが出来た。鶏の体は意外なほどに熱く、持ち上げると思いがけず軽かった。
私が鶏を追う姿を撮影した写真が数枚残っている。
鶏は卵だけでなく、時折は肉も食卓にもたらしてくれた。大人が鶏を絞めるのだ。
数度、それを見たことがある。鶏の身体を押さえつけ、飼葉切りで首を落とした。すぐに羽根を毟った。細かな羽根の残った皮を剥き、いくつかの肉の塊にした。内臓も、場所によっては食べた。
鶏を飼うことは、食料の入手が容易ではなかった地域で生きていくために、必要なことだったのだ。いわば鶏たちは、生ける保存食であった。
「沙河」(暖淡堂書房)から
*☺☺☺☺☺*
畑で作った野菜が中心の食事をしていました。
保存食は塩辛い魚介類が多かったですね。
北海道の地方都市の、農村部は大体同じだったと思います。
砂川の実家で飼っていた動物たち 鶏の思い出
【沙河15】
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