昭和20年から30年頃。
祖父母は自分達の手で建てた家で家族と暮らしていました。
その家は木造の二階建て。
馬や鶏たちと同じ屋根の下で暮らしていました。
その時に建てた家は、僕が生まれた頃にもまだ残っていました。
納屋になっていて、農作業用の道具をしまったり、大きな脱穀用の機械が置かれたりしていました。
子供の目には、脱穀機の置かれた納屋が、機械がみっしりとつまった工場のように見えていました。
僕の父やその兄妹たちは、やがてそれぞれの生活をするようになっていきます。
父の兄は、結婚して独立していましたが、仕事中の事故で亡くなってしまいました。
僕の父は次男でしたが、家に残り、祖父の仕事を受け継ぎました。
今回は、その父が、母と出会って交際を始めた頃までの内容になります。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二)③
祖父母には私の父を含め、四人の子供がいた。二男二女で、私の父は次男であった。
父には兄と姉がいたが、姉は子供の頃に亡くなっていた。
父の兄は、結婚する時に家を出た。少し離れた町で暮らしていたが、妻と子供二人を残して、仕事中の事故で亡くなった。電気工事中の感電事故だった。
祖母は残された子供たちを可愛がった。子供たちもよく祖母に懐いていた。
私よりも少し年上の、この従兄たちは、男二人の兄弟であったので、振る舞いは多少乱暴ではあったが、優しく、子供の頃の私のよい遊び相手だった。
父の妹は、父が結婚する頃には嫁いで家を出ていた。嫁ぎ先は、我が家と、町の西の端を南北に流れる石狩川との中間辺りに土地を持つ農家であった。
結局、父は次男だったが、家を継ぐ形で祖父母とともに暮らしていた。
中学を卒業すると、祖父とともに工場内で働き始めた。
父も、祖父と同じように、独学で電気工事の知識を身につけた。
父は就職する時に、自動車の運転免許証を取得した。その運転免許で、自動車の他に自動二輪も運転でき、かつ排気量の限定がなかった。
父は給料を貯めて、オートバイを手に入れた。ホンダの一二五ccだった。
父はオートバイを愛し、まだ舗装されていない道を気の向くまま走らせた。
やがて、父は愛車を駆って、まだ交際中だった母に会いに行くようになった。
「沙河」(暖淡堂書房)から
北海道の砂川で、自分達の手で建てた家で暮らし始めた 祖父母がまだ若く、父が子供だった頃のこと 【沙河4】
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
にほんブログ村