安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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自分史で振り返る、生まれた頃のこと 郷里、北海道砂川市のこと 【沙河1】

暖淡堂は昭和40年に北海道砂川市で生まれました。

それから高校を卒業して旭川の大学に進学するまで、実家で暮らしていました。

その間のことを、思い出すままに書いた文章が「沙河すなかわ」です。

 

祖父母それぞれの家系が北海道に入植した地域のことや、祖父母が結婚して砂川で定住するまでのことも、家族から聞いていて、覚えている範囲でまとめています。

また、昭和40年代、50年代の北海道の工業、鉱業、農業を中心産業とした小都市での暮らしも書いてみました。

 

今の砂川やその他の北海道での暮らしとは随分違うかもしれませんね。

自分自身の経験ですが、ノスタルジックな部分がかなりあります。

  

本ブログで少しずつ紹介したいと思います。

北海道の昭和40年代、50年代は、こんな感じだったのか、と知っていただければ幸いです。

  

【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (一)

  

 薪を燃やすストーブが部屋の真ん中で暖かな熱を放っていた。

 煙は繋ぎ合わせた煙筒で部屋の外まで導かれ、家の南側に立つコンクリート製の高い煙突から吐き出されていた。

 ストーブの上では大きな鍋で湯が沸いていた。

 その湯気で部屋の空気は暖かく湿っていた。

 南側の壁には張り出し窓から、明るい空が見えていた。

 私の家には、まだテレビがなかった。テレビが一般に普及し始めた頃だったが、我が家がテレビを購入するのはもう少し経ってからだ。

 人の話し声もなく、とても静かだ。薄い緑色で草の模様が描かれたビニールレザーが畳の上に敷かれていた。

 タオルが広げられていて、私はそこに座っている。

 幼児の私は、ブリキで出来たおもちゃで遊んでいる。

 流線型の宇宙船のおもちゃだった。ヘリコプターのように丸いプロペラがついていた。

 手で押して走らせるとプロペラが回転した。

 操縦席には銀色の宇宙服を着たパイロットが乗っていた。

 丸い透明なヘルメットを被ったパイロットの目は、青く、大きく、私を見つめ返していた。

 そばに誰かがいたはずだが、思い出せない。

 祖父母ではなかったか。

 なぜかそれが、母親だという気がしない。

 私は、眠たくなるような穏やかさの中で、ゆっくりと流れる時間を過ごしていた。

 

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

 

 

自分史で振り返る、生まれた頃のこと 郷里、北海道砂川市のこと 【沙河1】

 

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