安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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タイ駐在備忘録

2010年10月初め頃 タイの建設工事の早さ(遅さ)に色々と思った 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年10月になった頃。 夕方から夜にかけて大雨が降ることが増えてきていた。 現地の人によれば、そろそろ雨季が終わるので、大雨が多いのだということだった。 場合によっては、洪水があるかもしれない、と不安にさせるようなことも言っていた。 出向先の…

2010年9月末頃 シラチャに馴染み始めた頃【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年9月末頃。 現地のR&D(研究開発)スタッフ向けに、特許等知的財産に関する話をしている。 思えば、この頃から、知的財産関連の仕事を少しずつするようになっていた。 帰国後、知的財産部に配属になるきっかけは、その辺りにあった気がする。 日本と、…

2010年9月下旬 タイの暑さには子供も疲れる【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年9月下旬。 夜から朝にかけて雷雨ということが多かった。 雨季の真っ盛りで、雷の影響か、時々停電もあった。 直射日光に当たらないと、少し涼しく感じる。 雨雲が厚く空を覆っていると、それだけで過ごしやすい。 それでも、暑い。 タイなので。 週末…

2010年9月中旬 シラチャの街も次第に涼しく感じるようになってきた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

スカパープ公園前のセブンイレブン 2010年9月上旬。 タイの暑さの盛りは4月から5月。 ソンクラン祭り(水掛け祭り)が終わると、ゆっくりと気温が下がり始める。 9月は、午前中は晴れ、午後は雲が増えてきて、夕方から夜に大雨という日が続くようになってい…

2010年9月上旬 オフィスの中の寒さが気になり始めた頃【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

この山の方角から雨雲が近づいてくる 2010年9月上旬。 1月に赴任して、3月末に家族と合流、8月には夏休みで一時帰国をした。 で、9月上旬。 タイは時々大雨が降った。 気温が高いので、少々の雨に濡れても平気だと思っていたが、それが油断に繋がった。 重い…

2010年8月下旬その2 ミラクルフルーツ「マジック」のこと【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

www.thaich.net 2010年8月下旬の続き。 タイ駐在後、初めての北海道帰省を終え、妻と娘もシラチャに戻ってきていた。 タイのメンバーはずっと普段通りに勤務していた。 僕がいなくても、全然問題ないということで、安心もし、ちょっと寂しくも思ったが。 ド…

2010年8月下旬 移動が多くてこの頃もまた疲れていた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

シラチャのサッカー場 2010年8月下旬。 北海道帰省から僕だけ先にシラチャに戻っていた。 数日遅れて妻と娘が戻ってきた。 娘は、残りわずかの夏休みで、読書感想文を書き始めていた。 それに妻はつききりでサポートをしていた。 読書感想文の課題図書は、帰…

2010年8月中旬 帰省で初めての一時帰国(続き) 久しぶりのDomDomハンバーガー【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

ハンバーガーショップDOMDOMの紙袋(2010年夏) 2010年8月中旬の一時帰国の続き。 北海道への帰省中は、レンタカーを借りて移動していた。 黒いスバルのインプレッサだった。 車高が低めで、シートも低く、足を前に伸ばす体勢で運転するので、運動不足で筋力…

2010年8月中旬 帰省で初めての一時帰国 涼しい夏【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

札幌の時計台 2010年8月中旬。 3月末に家族でタイのシラチャで暮らし始めてから、初めての家族揃っての一時帰国をした。 妻と娘は先に北海道に帰省。 僕は少し遅れて北海道に行った。 妻と娘は、妻の実家のある小樽に数日滞在していた。 その間、妻の従姉妹…

2010年8月上旬 夏休みの帰省準備【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

バミーヘンとシューマイ 2010年8月上旬。 4月末頃から始まったシラチャ日本人学校の授業は7月下旬に夏休みになった。 タイの日本人学校の夏休みは短い。 7月下旬に始まり、8月下旬には終わる。 大体1か月くらいだった。 僕と妻には、この夏休みのパターンに…

2010年7月末頃その3 シラチャの街に少しずつ馴染んできた頃【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

スカパープ公園に来ていた果物屋さん 2010年7月末頃のさらに続き。 この頃になって、やっと僕も家族も、タイでの暮らしに慣れ始めてきていた。 妻は、同じサービスアパート(ホテル)に暮らしている他の奥様たちと情報交換を盛んにしているようだった。 シラ…

2010年7月末頃その2 シラチャスカパープ公園で陽が沈むまで遊んだこと【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

シラチャスカパープ公園の夕方 2010年7月末頃の続き。 インドに出張して訪問した大学の学生が、僕がマネージャーをしていた研究施設を訪問した。 まだあちらこちら工事中だったが、一通りみて、それなりに満足してくれたようだった。 その学生は、数ヶ月後に…

2010年7月末頃 シラチャから日本へ手紙を書く【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年当時のシラチャの郵便局 2010年7月末頃。 僕も家族も次第にタイでの生活に慣れてきていた。 食事は自宅で、妻が調理したものを食べるのが基本だった。 シラチャのロビンソンやパタヤのフードランド、バンコクのグルメマーケットやフジスーパーで日本の…

2010年7月下旬 家族は決して手を出さなかったタイのお寿司とチャトチャック市場の思い出せない匂い【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイの屋台のお寿司 2010年7月下旬のこと。 家族でパタヤの近くの水上マーケットに行った。 大きな池(沼?)というか、お堀というか、その水を囲むようにして木造の建物が並んでいた。 観光客であったら、売られている物を手に取ってみるかもしれないが、僕…

2010年7月中旬 見慣れても気持ちが落ち着かないが、それでも慣れてしまうタイの風景【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイの建設現場 2010年7月中旬。 タイから北海道の札幌で開催された国際会議に出張。 この時は一人で出かけた。 妻と娘はシラチャでお留守番。 会議が終わると、まっすぐにタイへ戻った。 実家にはスケジュールの都合上立ち寄ることができなかった。 この頃…

2010年7月上旬 日本との行き来が増えてきた頃 娘の様子を気にかけていた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年火災後のバンコクセントラル 2010年7月頃のこと。 シラチャの日本人学校への通学に、娘は慣れ始めていた。 同じサービスアパートに暮らしている同級生とも仲良くなっていた。 外に出ないでも、お互いの家を行き来できるので、学校から帰ったらいつも一…

2010年6月下旬 週末を家族とのんびり過ごす 初めての日本への出張【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年6月下旬には雨季に入っていた。 それでもあまり雨は降らず、晴れて暑い日が続いていた。 仕事では、新入社員(研究員)採用で、大学や公的な研究機関訪問をしていた。 特にチュラロンコン大にはよく通うようになった。 その結果、数人の教授と面識を得…

2010年6月中旬 家族の滞在ビザ手続きをした【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年6月中旬のこと。 仕事はそれなりに進み始めていた。 僕がタイに赴任する前に、タイから日本の大学に留学していた現地のスタッフがいた。 そのスタッフは、僕が統括する組織のメンバーではなかったが、留学を終え、タイに帰国した際は、僕の組織に入り…

2010年6月上旬 サービスアパートの部屋の中の整理、家電品の現地調達など【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

パタヤのモスバーガー 2010年6月上旬。 相変わらず身体の疲れは取れていなかった。 時々大雨が降って、車の通勤に時間がかかるようになっていた。 自分では運転しないが、それでも車の中に往復で2時間以上座っているのはそれなりに疲れた。 疲れがたまる上に…

2010年5月下旬 バンコク市内で、デモで集まっていた人たちの一斉排除【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年5月下旬。 体調を崩していた娘も、無事シラチャの日本人学校に通い始めた。 ちょうどその頃、バンコクにデモで集まっていた人たちの強制排除が行われた。 市内を装甲車が走り、武力行使した上での排除だった。 寺院内に逃げ込んだ人たちに対して銃撃が…

タイの水上マーケットで見かけたお寿司 これが大丈夫であれば大丈夫【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

こんにちは、暖淡堂です。 タイでの和食の話題です。 家族がタイで再集結したときの最初の食事がシラチャのレストランで食べたお寿司でした。 その時に食べたお寿司は、見た目もほぼ日本で食べるものと同じ。 味も同じで、美味しくいただきました。 一緒に頼…

2010年5月初旬から中旬 タイの病院とムンバイ出張【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年5月の連休明けの頃。 シラチャの日本人学校に通い始めていた娘が熱を出した。 それで、初めてシラチャの病院に行った。 サミティーベイという病院だった。 (今調べてみると、サミティーベートという名前が正しいようだ) samitivej-jp.com 日本語通訳…

2010年3月下旬から4月上旬 家族でタイでの生活を始めた頃【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年の2月から3月は、現地での仕事の立ち上げや諸々の整理で忙しい時期でした。 現地の銀行口座開設、ワークパーミット申請、娘の転校先になるシラチャ日本人学校での転入準備、そして家族で暮らすサービスアパートメントの選定。 2010年当時はリーマンシ…

2010年2月下旬 家族の引っ越しが近づいてきて、バンコクのざわつきが気になり始めた頃【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年の2月下旬。 タイでは乾季の終わりが近づき、時々激しい雨が降るようになっていた。 家族のタイへの引っ越しは3月下旬。 それまでの、残り一月ほどの単身駐在となっていた。 その頃、会議などでバンコクに行くと、所々で人々が集まってデモをする様子…

2010年2月中旬 タイでの本の入手方法を考えていた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイでの日々の暮らし方に慣れてくるとともに、次第に気になり始めたのが、本のこと。自分の場合、読書は趣味ではなく生活の一部。入浴や歯磨きのように、それをしないと1日が終わらない感じのものです。 なので、タイに行く時に持って行った本は、1ヶ月経た…

タイのお寺はトンガっている【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

上の写真は2010年5月頃に撮影したものです。 まだ家族がタイに引っ越してから間もない頃に出かけた先で見た建物で、お寺のようでした。 この後も、タイではお寺をたくさん目にしました。 日本のお寺と違うところがたくさんあったので、覚えていることを書い…

2010年2月の初め頃 日本で引っ越しの準備をしている家族を思っていた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年の2月の初め頃の日記を見ると、夜寝る時のエアコンの使い方に慣れ始めてきているようです。夜はそれなりによく眠れるようになっていたようで。 サービスアパートメントのテレビでNHKの放送を観ることができました。ホテルにいる間は、ほぼずっとNHKを…

シラチャ市内にもあったダイソー 日本人学校生徒家庭の御用達 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

上の写真、2010年頃の、シラチャ市内にあったダイソーの入り口です。置いてあった商品もほぼダイソーのものと同じだったので、きっとダイソーです。(自分を納得させるような書き方になってしまいました) で、ここはよく行きました。日本人学校は、日本の学…

2010年頃のバンコクの道路で見かけた光景 いつまでも慣れないもの 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年頃の路上には、なんだかわからないくらいの古い車と、そうでなければ日本車が走っていました。当時は日本車に乗るのがタイの人のステータスのような感じでしたね。生活にもう少し余裕があるとベンツ、BMWなどに乗っていたようです。 日本車では、日本…

タイに赴任して1ヶ月経たずにもう疲れていた ビールが安いので飲みすぎた週末のこと 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイとカンボジアの国境近くの海 タイに赴任した2010年1月最後の週末(30日(土)と31日(日))。 当時の日記には「疲れた、疲れた」と繰り返し書いています。 気候が違うのと、現地の様子に慣れないのとで、正直しんどかったのだと思います。 で、まずたく…

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