安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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2010年2月の初め頃 日本で引っ越しの準備をしている家族を思っていた【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイ、シラチャスカパープ公園の鳥

 

2010年の2月の初め頃の日記を見ると、夜寝る時のエアコンの使い方に慣れ始めてきているようです。夜はそれなりによく眠れるようになっていたようで。

サービスアパートメントのテレビでNHKの放送を観ることができました。ホテルにいる間は、ほぼずっとNHKを観ていました。おそらくタイにいる頃が一番受信料を有効に使っていたかもしれません。

 

日本は寒い冬。2月の初めに自宅のあたりでは積雪があったようです。気候の違いを感じました。タイでは時々雷雨。雨は豪雨といっていいくらいの強さでした。大体乾季の終わりだったかと。

2月で、現地法人の2社が統合して新しい会社がスタートしました。その時に、水色のポロシャツが配られたので、それを着て出社。そのまま設立の記念祝典に参加。

祝典には現地の知事や有力者のような感じの人たち、それに加えてお坊さんが数人来ていました。お坊さんの一人が、長い時間をかけて、新しい会社の建物の門に、何か絵のようなものを描いていました。タイの習慣なのでしょうね。

ケータリングも出ていて、僕はそこで初めてタイで握り寿司を食べました。サーモンとマグロと青いとびっ子のようなものなどを数個ずつ。味はほぼ変わりませんでしたが、握りが日本のサイズの半分くらい。ミニ寿司という感じでした。

 

妻と娘は、日本にいて出国のための準備や引っ越しの荷造りを進めていた頃です。色々と相談したり、家の様子を聞いたりしたので、電話代が数万円になってしまいました。Skypeなどを使えばよかったと、今は思いますが、当時は何も知りませんでした。

家族が再集合するまで、この頃から後2ヶ月弱でした。それぞれに自分でできることを進めていた時期でしたね。

 

 

2010年2月の初め頃

日本で引っ越しの準備をしている家族を思っていた

【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

 

就労ビザや現地の銀行口座などの手続きが大体済んだ頃。

次は家族の引っ越し。

家族で住むためのサービスアパートメントの下見をしたりし始めた頃でもありました。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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