2010年7月中旬。
タイから北海道の札幌で開催された国際会議に出張。
この時は一人で出かけた。
妻と娘はシラチャでお留守番。
会議が終わると、まっすぐにタイへ戻った。
実家にはスケジュールの都合上立ち寄ることができなかった。
この頃はまだ僕の両親はそれなりに元気で、どうしても会わないといけないという状況でもなかった。
顔を見ずにタイに帰るのは、それなりに寂しかったが。
で、日本からタイに帰ると、いろいろなものの違いが目につく。
日本ではありえないだろうと思われるものを、よく見つけてしまう。
例えば、安全に対する配慮などは、お国柄が出るのだろうか。
ビルの建設現場では、高層ビルを建てている周囲の足場が竹をつなぎ合わせたものだったりする。
手すりなどない高い場所を、生身の人間が自由に移動していたりもする。
そもそもピックアップトラックの荷台に人がぎゅうぎゅう詰めの状態で高速を走ったり、一台のバイクに人が7人くらい乗っていても、お巡りさんが取り締まらない状態だった。
そんな光景は、日本からタイに戻ると、とても気になるのだが、数日すると慣れてしまう。
現地の会社ではあまり推奨されていないトゥクトゥクも、シラチャでは普通に使ってしまう。
そして、タイで過ごすことが、心地良くなってしまう。
人間は、おそらくどんな状況にも慣れることができるのかもしれないな、なんて気づいた時期だったと思う。
*
今でも、日本の微妙なビールを飲むより、チャーンが美味しいと思うのはなぜだろう。
2010年7月中旬
見慣れても気持ちが落ち着かないが
それでも慣れてしまうタイの風景
【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録
にほんブログ村