還暦記:暖淡堂

還暦前後の日々の記録を中心に

【現代詩】「渇いた眼球」 力の限り見つめ続ける者たちのイメージ 現代詩の試み

現代詩の試み



 

渇いた眼球

 

 

…「個々」の「私」達からこぼれ落ち続ける無数の虫達は膨らむ球形の熱いコロニーとなり、ここ、ではない層を探りながら浮遊する。やがてコロニーは自重で縮壊し「私」達のネットワーク(それは周縁部の最も野性的な部分を発散するものとして含む、ずれつづける平面達の影)に重なる層を無限に加速しながら、「底」、の弱い部分を逃げ始める…

 

寝台の

片足の少年は

天井を

這い回る小さな虫に目をとめる

小さなくぼみのような

暗い

 

…いくつも並んだ寝台の上の盛り上がりが、どれも動かないこと確かめるざわつく虫達…

 

その影のそばに

小さな妹の顔が浮かんで揺れる

あの日

自分と同じ大きさ

同じ色の

水たまりに頭を浸け

小さな腰を持ち上げたまま

霜に

覆われた

 

…虫達の粘液状の糞はどの都市の建築群の地下をも流れ、微かな響きをたてる。その流れと同じだけの、子供の凍結…

 

苛立つ小さな身動きに

母の微かなにおいが首筋から漏れ

身体の奥が無理に押し広げられ

涙が溢れ

できた空洞を

黒い獣の尾でなぞる

 

…不意の滑落…緩やかに流れ始めるいくつもの薄層…寝台の湿った温もりに苛立ち…逃走、荒野で速度を増し…跳ね、何度も転げ…静止する星空を見上げ…雪の匂…妹の横たわるあの草むらへ…差し伸べる指の先に何本もの枯れ枝を接ぎ…飲み込んだ声…

 

(…と、岩陰の息遣い

(…生臭く、小さく笑うような

 

天井で

虫が動く

少年は目を開いたまま、息を止める

そして

その奥/ここ、に向かって

ざらざらとした指で胸を裂きひろげながら

ゆっくりと滑り込み始める

 

と、空間に、凝り、落ちる、

いくつもの、

渇いた

眼球

(…個々の「私」達…)

(…穢す、目よ…)

 

      *

 

見なれない男達が不意に溢れた

石の街で

灰色のブルカの若い女

わずかの金を求めて

渇いた小さな子供を道端に置いた時

小石の陰から顔をだす

濡れたゴムのような

蛇を見た

その

赤い舌 

 

 

【現代詩】「渇いた眼球」

力の限り見つめ続ける者たちのイメージ 現代詩の試み

 

目をそらさないこと。

大事なものを見つめ続けること。

自分の外にあるものに、自分を広げ続けること。

それが自分を不安定にさせたとしても。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

百人一首第52番目の歌の作者は藤原道信みちのぶ朝臣あそんです。

この人も三十六歌仙の一人でした。

 

今回は藤原道信みちのぶ朝臣あそんについて紹介します。

 

藤原道信朝臣とは

生年972年、没年は994年。

享年23。とても短命でした。

この人も藤原北家に連なり、最終の官位は従四位上左近衛中将

一条天皇に仕えていました。

 

百人一首に選ばれているこの歌は、女性と過ごした夜が明け、帰った後に詠んだもの。

夜が明ければまた日が暮れて夜になり、会うこともできることがわかっているのに、それでも夜が明けて朝が来るのがとても辛い。

そんな想いを素直に謳っています。

 

和歌の才能だけでなく、その容貌も素晴らしい人だったようです。

活躍が期待されながらも、夭逝してしまいました。

そのことがとても惜しまれたとのこと。

 

時代背景

藤原道信朝臣の亡くなった原因は不明ですが、この頃は伝染病が流行していました。

以下の記事もご参照ください。

 

dantandho.hatenadiary.com

 

藤原北家の権勢も上昇し続けています。

藤原道長が内覧の宣旨を賜るのが995年。

疫病が流行し、高位の人たちが欠ける中、生き残ったということも、藤原氏の隆盛の条件だったのでしょう。

 

百人一首の歌

歌:明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

歌の意味:夜が明けたなら、また暮れるものであることはわかっているが、それでも恨めしい、夜が明けてしまうのは。

 

https://item-shopping.c.yimg.jp/i/j/bookfan_bk-4044072183

 

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

 

次に来る10世紀は藤原氏権勢の絶頂期でもあり、また地方での武力を背景にした勢力が力をつけた時期でもありました。

 

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夕張での炭鉱事故 豊沼-砂川(三)

昭和40年夕張炭鉱での事故のこと

 

僕が生まれたすぐ後の昭和40年2月22日には、砂川と同じ管内の夕張にあった炭鉱でガス爆発が起こり、六一名が死亡したそうだ。

そのときからずっと、夕張の地中では、石炭が燻るように燃え続けている。そんな話を聞いたことがある。

 

 

夕張の炭鉱の歴史などは以下を参照。

ja.wikipedia.org

 

夕張という地名はアイヌ語のイ(それ)・パロ(口)。鉱泉の源泉のことであると考えられている。古く松浦武四郎が書き残した資料にはイユウ(温泉)・パロ(口)となっている

 

参考文献

北海道大百科事典、昭和56年(1981)8月、北海道新聞社。

 

夕張での炭鉱事故 豊沼-砂川(三)

 

夕張、また行ってみたいです。

映画の「幸せの黄色いハンカチ」の舞台でもありましたね。

 

ja.wikipedia.org

 

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