2010年7月頃のこと。
シラチャの日本人学校への通学に、娘は慣れ始めていた。
同じサービスアパートに暮らしている同級生とも仲良くなっていた。
外に出ないでも、お互いの家を行き来できるので、学校から帰ったらいつも一緒にいる感じになっていた。
娘は時々体調を崩していた。
熱を出して、具合悪そうにしていることが時々あった。
病院の行き方はわかったので、必要があればすぐに行くつもりになっていた。
日本への出張や、日本から出張してきた人の相手をする機会が増えていた。
本来の仕事よりも、出張者の相手をする時間が長くなるときもあった。
まあ、これが現地駐在員の位置付けなのだろうと理解し始めていた。
不満はまったくなかった。
バンコクの大学へも行くことが増えた。
数人の先生方とは仲も良くなった。
チュラロンコン大学の中には食堂が数カ所にあった。
そんな食堂の一つで、タイの麺料理を食べるのが好きだった。
メニューを選ぶのに困ると、僕は決まって「センレックナーム」にした。
「センレック」はお米の粉で作った麺。
「ナーム」は水または液体の意味で、この場合はスープ。
なので、「センレックナーム」は、スープに入ったお米の麺のこと。
あっさりスープに入った「フォー」を思い浮かべてもらうと、大体同じである。
バンコクの街中には、大規模なデモの痕跡がところどころに残っていた。
伊勢丹に隣接するセントラルのZENの側が、デモのメンバーによって放火されていた。
その跡を車の中から見上げた。
なんだか、とても寂しく感じた。
2010年7月上旬 日本との行き来が増えてきた頃
娘の様子を気にかけていた
【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録
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