2010年5月下旬。
体調を崩していた娘も、無事シラチャの日本人学校に通い始めた。
ちょうどその頃、バンコクにデモで集まっていた人たちの強制排除が行われた。
市内を装甲車が走り、武力行使した上での排除だった。
寺院内に逃げ込んだ人たちに対して銃撃が行われ、死者も出たようだった。
そんな様子を現地のテレビ放送で観ていた。
日本の親戚や知人からは、時々心配して様子を聞くための連絡があったりした。
実家の家族へは、我々の方から電話をしたりしていた。
この一斉排除の際、セントラルワールドへの放火があった。
隣接する伊勢丹の中に紀伊國屋があって、家族で週末に出かける先であったが、そこにはしばらくは行けなくなってしまった。
その週末、シラチャ日本人学校で参観日があった。
妻と二人で出かけ、帰りは娘を連れて帰った。
ごく普通の授業が行われていて、とても安心した。
まだ、リーマンショックの影響が残っていて、タイに駐在する日本人が少なくなっていた頃だ。
生徒数は少なく、教室をゆったりと使っていた。
この頃、自分の仕事のスタイルについて悩んでいたようだ。
自分自身で研究をすることがなくなり、組織のマネジメントのみを会社から求められていた。
それが、自分の生き方と合わないような気がしていた。
この悩みはタイ駐在中、ずっと続く。
日本から船便で届いた荷物の整理をしていた頃でもあった。
積み上げていた段ボール箱がなくなると、部屋の中が広くなったように感じられた。
妻は衣類の整理に苦労していた。
冬に一時帰国することはあると思われたので、冬物を持ってきていた。
帰省先は北海道になるので、どうしても厚物が多い。
しかし、タイで着ることはない。
一時帰国で帰省する時以外はしまいっぱなしである。
そのためのスペース確保が、タイ滞在中の継続した課題となっていた。
タイのビールの飲み比べなどをし始めたのはこの時期以降。
安かったがチャーンのクラシックが、今でも一番美味しいと思っている。
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