2010年6月中旬のこと。
仕事はそれなりに進み始めていた。
僕がタイに赴任する前に、タイから日本の大学に留学していた現地のスタッフがいた。
そのスタッフは、僕が統括する組織のメンバーではなかったが、留学を終え、タイに帰国した際は、僕の組織に入りたいと希望し始めていた。
彼は元々は工場のエンジニアだったが、優秀だったので留学機会を得て、日本の大学で研究していた。
留学期間中に研究が面白くなり、帰国後も続けたくなったようだ。
僕の組織は、現地スタッフを中心にしたR&Dセンターだったので、帰国後はそのメンバーになり、研究を続けたいと希望していたようだった。
工場側のマネージャーは、予定通り工場に戻って、以前の仕事をしてもらいたいようだった。
この後、話し合いは数回行われたが、彼は結局は工場に戻ることになった。
彼がやりたいと考えていた仕事は、工場の中で続けるのが効果的で、成果も出やすいと判断したためだった。
インドの大学で面接した学生と再会。
タイの様子を確認しにきていた。
研究室や、周囲の環境を見て、研究員数人と情報交換をしてから帰国していった。
彼らは採用する方向に話が決まった。
バンコクにあるチュラロンコン大とカセサート大に行くようになったのはこの頃から。
この後、学生を続けてリクルートすることになった。
優秀な学生はPTTやサイアムセメントなど、タイの旧国営企業への就職希望者が多い。
日系の企業に来てもらうためには、まず知名度を上げないといけない。
そのための活動も始めた頃だった。
家族がタイでの生活を始めて2ヶ月ほど。
滞在延長の手続きをした。
現地スタッフに手続きをしてもらったが、妻や娘も同行した。
僕も仕事を抜け出してついて行った。
お役所の手続きは、のんびりしているのだろうな、と、時間がかかるのを覚悟していたが、思いがけず昼食を挟んで前後それぞれ1時間ほどで済んだ。
手続きの後、当時の、BTSプロンポン駅に隣接していたエンポリアムに行って時間をつぶした。
夕食を、先輩現地駐在員の家族と一緒にするためだ。
「大(グレート)上海」という中華レストランで食事をした。
中国人料理人が作る、本格的な中華料理だった。
のんびりと過ごせた、とても楽しい時間になった。
この「大上海」、コロナ禍で潰れてしまったという噂もある。
営業中のような情報もある。
そろそろまた行ってみないといけないようだ。
2010年6月中旬 家族の滞在ビザ手続きをした
【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録
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