安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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タイ入国直後 2010年1月中旬 しばらくは日々とても疲れていたようです 駐在員必須タイ語会話 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイ語の非常口表示

 

タイに着くと、さまざまな手続きを短期間で片付けなければいけませんでした。観光ではなかったので、ビジネス用のビザで入国していましたが、それも早い段階でワークパーミットを得る必要がありました。その他、銀行口座の開設も急いで行いました。

手続き自体は現地の人が進めてくれていて、僕はその人の横にいてイエスエス、ノーノーと言っていればよかったのですが、色々なところでの待ち時間が多くて疲れた記憶があります。

専属のドライバーさんがいて、休日も使っていい車があったので、それで出かけてもいいと言われていたのですが、休日はそんな気分にはなれず、サービスアパート(ホテルの一室を長期借り切り)の部屋でずっと寝ていたりしました。

 

現地で暮らし始めて感じたのが、文字の難しさ。看板などのうち、重要なものは英語が併記されているのですが、道路標識などはタイ語のみ。お店の看板もタイ語のみだったりします。

悔しかったので、勉強しました。もう、すっかり忘れてしまいましたが、文字を見て、音にすることは大体できるようになりました。音にできたら、理解できるものがかなり増えます。屋台の垂れ幕や看板に書かれている「コーク」がわかったときは、とても嬉しかったです。

音にできても、意味がわからないものはたくさんありましたね。滞在期間中は勉強していましたが、ごく簡単な会話しかできませんでした。で、この会話の種類は出向前と、結局は変わらない状態で帰国してしまいました。

 

「ノンノン」

「トーナカップ

「コービアシンカップ

「ニーアライ」

「ニーソンカップ

「マイペッ、メダイカップ」

「コップンカップ

「チェックカップ

 

タイ滞在期間中は、ほぼこれだけで乗り切りました。

その後の出張でも、これらを多用していますね。

 

タイ入国直後 2010年1月中旬

しばらくは日々とても疲れていたようです

駐在員必須タイ語会話

【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

 

仕事はほぼ英語でした。

日本語は職場には話せる人がいませんでしたね。

現地法人の社長の方針で、採用は英語での会話力必須ということでした。

タイ語オンリーでなくて助かりましたが。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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dantandho
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