安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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2010年7月末頃 シラチャから日本へ手紙を書く【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

2010年当時のシラチャの郵便局

2010年当時のシラチャの郵便局

 

2010年7月末頃。

僕も家族も次第にタイでの生活に慣れてきていた。

食事は自宅で、妻が調理したものを食べるのが基本だった。

シラチャのロビンソンやパタヤのフードランド、バンコクのグルメマーケットやフジスーパーで日本の食材や調味料を入手できることを知った。

それで、生活はかなり落ち着いたものになった。

 

タイで暮らし始めた頃は、日本から定期的に食材などを取り寄せるサービスを利用するつもりになっていた。

しかし、割高なので、すぐには始めなかった。

日本を出国するときに、少しだけ調味料を持っていった。

それを大切に使っていた。

そうこうしているうちに、タイでも色々と入手できることを知って、それからは安心して料理を作れるようになった。

 

お米も現地で入手できた。

タイ米の棚の隅っこの方に、ジャポニカ米(日本米)があった。

それも、タイで作られたもののようで、とても安かった。

基本、それを食べるようになった。

時折はタイ米を食べていた。

 

あるとき、お刺身が食べたくなった。

それを家族で話していると、駐在員の妻たちのネットワークで、レストランのテイクアウトメニューにお刺身がある、という情報を得られた。

日本人駐在員が多く住んでいるサービスアパートだからだろうか。

綺麗に盛り付けたお刺身がケースに入れられて、テイクアウト用に用意されていた。

 

それを知ってから、我が家は週末などにお刺身が食べられるようになった。

レストランに買いに行くのは僕の役目。

Tシャツに短パン、サンダルペタペタでレストランに入る。

レストランのスタッフが僕に気づくと、僕が注文される前に、「〇〇サン〜オサシミソン(お刺身二つ)〜」と言われるまでになった。

 

タイに駐在していた頃は、僕の両親も、妻の両親も健在だった。

時々は電話で話したりしていたが、タイから手紙や荷物を送りたくなった。

それで、2010年7月末頃、家族でシラチャの郵便局に行ってみた。

 

郵便局の中で働いている職員は8割は女性だったような気がする。

窓口の女性に、英語で話しかけてみた。

こちらの言いたいことは伝わっているようだったが、返事などは全てタイ語だった。

送付先や料金などの確認をしているうちに、我が家の方はほぼ日本語で話し始め、担当の女性の説明は終始タイ語

それでも問題なく意思疎通ができ、小さな荷物を日本に届けることができた。

それ以降も、この郵便局から何度か手紙や荷物を日本に送った。

 

そういえば、バンコクのデパートの中に郵便局のカウンターがあって、休日でも荷物の発送などができた。

そのカウンターもよく使った。

 

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