登園を拒否し続けて、引きこもり状態の園児だった僕も、小学校入学の準備をしないといけない時期になりました。
それでも、相変わらず一人きりで遊んでいました。
幼稚園に通っていなかったので、ひらがなを他の子どもと同じように書くということができていなかったようです。
鏡文字というものですね。
成長するにともなって、解消されていくものらしいのですが、両親はとても心配していました。
祖母は、僕に本を読まそうとしていました。
少しでも僕の成長に役立つようにと考えてくれていたのでしょう。
小学館の幼児用の雑誌を定期購読していました。
おそらくそれが、今の読書習慣のきっかけになったのだと思います。
内容はほぼ漫画でしたが、それでも時間があれば、その本を読んでいました。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (十)①
早生まれの私は、同学年になる予定の子供たちと比べ、身体が小さかった。
家の近所に友だちがいなかったので、人見知りの、内弁慶の子供に育っていた。小学校への入学が近づくと、家族は心配し始めた。私は相変わらず一人で遊ぶことが多かった。妹もいたが、あまり一緒には遊ばなかった。
私は幼児用の雑誌を読んだり、新聞紙とビニールテープで作った人形で遊んだりしていた。ビニールテープは、祖父や父が電気工事の仕事をしていたことから、家にはたくさん置かれていた。それを子供の私が使っても叱られなかった。
新聞紙を丸めて作った筒状のものをつなげ、人形のようなものを作った。私はそれを当時人気だったウルトラマンやウルトラセブンに見立てていたのだ。
その頃には、我が家の居間には白黒テレビが置かれていた。
さらに、家族を心配させたことがあった。私はひらがなを正しく書くことが出来なかったのだ。いくつかの文字を、鏡に映したように裏返しに書いてしまうのだった。
鏡文字というらしい。発達が未熟な子供にはよく見られる症状のようだ。それが、小学校に入学する頃になっても治らなかった。
「沙河」(暖淡堂書房)から
*☺☺☺☺☺*
家族の心配は、実際に僕が小学校に通い始めるまで続きます。
そんな心配をよそに、僕はのんびりと一人での時間を楽しんでいました。
小学校入学の時期が近づいた頃のこと 【沙河20】
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