祖父が亡くなったときに起こった不思議なことが、今でも実家の家族の話題になります。
特に鳴家に関しては「実例」のようなものが家族内で共有されています。
「誰々が亡くなったときには」、「どこそこのおばさんが危篤になったときには」など、いくつかのエピソードがあって。
法事で集まった際には一通り話の内容が再確認されます。
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十四)②
夕食が出た。お酒を飲みながら、大人たちが話をしていた。
「背中に、何か重たいものが乗ってきたような感じがしたのさ」
父が親戚の人たちに話していた。母の実家の祖父母を車で送っていた時のことのようだ。
不動坂という長い坂を車で上っていた時のことらしい。
「なんだか、急にしんどくなってきてさあ。急に肩に重たいものが乗って来たような気がして。変だなあって思ったのさ。だけど、何だかよくわからなくってさあ。バックミラーが気になったんだ。でも何にも見えないし」
「父さんが帰ってくる前、家で大きな音がしたんだよ」
私は父と母にそう教えてあげた。
「祖父ちゃんが、順番に回っていたのかもねえ」
親戚のおばさんがそういった。
通夜の夜、家族は皆お寺に泊まった。庫裡に薄い布団を並べて横になった。
父と従兄は、お酒を飲みながら徹夜して、交代で蝋燭や線香を灯し続けた。
雨は一晩中降り続け、強い風も吹いていた。
朝になると、右手の掌が腫れていた。蚊がいたらしい。痒かったけど薬はなかった。掻かないように我慢していた。
起きた人から順番に朝食をとった。私は妹や従弟と一緒に、忙しく動き続ける大人たちの邪魔にならないように、お寺の中を見て歩いたり、本を読んだりして時間をつぶした。
祭壇は本堂に作り直された。通夜の時よりも大きくなっていた。祖父の棺桶は少し高い所に置かれた。
花や灯篭の数が増えていた。果物籠がいくつか置かれていて、桃の実の匂いがしていた。
近所の人が、祖父の戒名の話をしていた。立派な戒名だというのだ。偉い人だったからねえともいっていた。
その時、戒名はお金で買うのだということを知った。立派な戒名は高いそうだ。
「沙河」(暖淡堂書房)から
*☺☺☺☺☺*
人は死ぬと同時に出家して、さらに成仏するという仕組みをこのとき初めて知りました。
理解はできなかったと思います。
「戒名」の「値段」というのも、大人の事情みたいなものだと、今であれば理解することができますが。
お通夜での食事と、そこで話されたこと 鳴家のこと
【沙河29】
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