安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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駅前のロータリーで遊んだこと 三角ベースボールの思い出 【沙河32】

北海道砂川で過ごした昭和の日々

  

祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。

宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。

夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。

 

函館本線に豊沼駅があります。現在の三井化学砂川の最寄り駅になります。

その駅前のロータリーを占領するような形で三角ベースボールをよくやっていました。

ファールチップが駅舎の窓に当たったりしましたが、怒られたことはなかったですね。

当時は無人駅ではなかったのですが。おおらかな時代だったということでしょう。

  

【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)①

  

 夏休みが終わった。

 私は夏休みの宿題を手早く済ませ、自由研究の課題は数時間で片づけた。

 家の周りで見つけた虫を生乾き状態の標本にして、学校に持っていたのだ。

 かなり雑な出来上がりだった。始業式の朝に捕まえた虫も、数匹含まれていた。虫ピンに刺された状態で、身動きしているものもいた。

 先生は、何もいわずにそれを受け取ってくれた。

 五年二組の担任は西森先生で、先生の息子が同じクラスにいた。私が普段一緒に遊んでいたのがその西森君と、小学校に入学した頃からの友だちの川田君の二人だった。

 放課後は学校のグラウンドや駅前のロータリーで野球をしたりして遊んでいた。

 駅前のロータリーには、車が来ることがほとんどなく、子供の遊び場になっていた。駅の入り口に向かって上る階段に子供たちが並んで腰かけると、ちょうどバックネット裏のスタンドのようになった。

 階段の下にホームベース代わりの大きめの石をおいて、ピッチャーは階段に向かってボールを投げた。

 ファウルチップが飛ぶと、駅の入り口のガラス窓に当たることがあった。ガラス窓が割れることはなかったが、時々駅員さんに気をつけろといわれた。

 それでも、そこで野球をすることは禁止されなかった。

 駅舎の下には空間があり、階段の脇から入ることができた。そこは駐輪場として使われていた。野球をする人数が集まらないときは、僕らはその空間でかくれんぼをしたり、奥を探検したりして遊んだ。

 夕方になるとどこかの隙間から西日が射して、影が長く伸びた。

 駅を出て階段を下りる人には、遊ぶ子どもの影だけが見えていた。

  

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

   

*☺☺☺☺☺*

    

子供が遊べる場所は、たくさんありました。

学校のグランドは使い放題でしたね。

良い時代でした。

  

大雨による水害と、葬儀の後のこと 【沙河31】

 

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