安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

*本ブログにはスポンサーによる広告が表示されています

告別式から火葬場への移動まで 雨の降り続いた一日 【沙河30】

北海道砂川で過ごした昭和の日々

  

通夜の翌日は本堂に祭壇を移動させて告別式。

生まれて初めてお経をフルバージョンで聞きました。

 

曹洞宗なので、おそらく般若心経も唱えられていたのでしょうね。

「ギャーテイギャーテイ」と言っていたような気もします。

当時は、お経の意味はもちろん解らず、すぐに飽きてしまい、本堂のあちこちを見たりして過ごしていました。

 

雨が降っていて本堂の中は暗く、ロウソクの灯りが揺れると、ご本尊の表情が変わるように見えたりして、何だか怖くなったことを覚えています。

  

【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十四)③

  

 本堂から溢れ出すほどに人が集まった。僧侶による読経は通夜の時よりもずっと長かった。私は、焼香のために立ち上がる時に少しふらついた。慣れていない正座で、足が痺れてしまっていたのだ。参列した人々がすべて焼香を済ませるまで、読経は続いた。

 読経の後、住職による説教があった。その話も長かった。私は、読経が長かったのも、説教が長かったのも、みな祖父が偉かったからだと思っていた。

 午前中一杯かかった葬儀が終わった。私と妹は、祭壇から花をたくさん折り取り、棺桶の中に置いた。母から石を渡され、それで棺桶の蓋を閉めるための釘を打った。

 蓋が閉じられると、父や親戚の大人たちが棺桶を担いだ。本堂の外で待っていた大きな黒い車まで棺桶を運んだ。

 親戚は皆、マイクロバスに乗り込んで、墓地の中にある焼き場まで一緒に移動した。そこで昼食になった。作ってあった黒飯と、煮しめや揚げ物の入ったパックを渡された。父たちはまたお酒を飲み始めた。

 雨は降り続けていた。駐車場は舗装されていなくて、大きな水溜りが出来ていた。

 係りの人に呼ばれて、炉の扉の前に行った。私も木の箸を持たされ、いくつかお骨を拾った。お骨を壺に入れたあと、それと一緒に家に帰った。骨壺は仏壇の前に置かれた。

 花や灯篭の数が増えていた。灯篭の明りはゆっくりと回りながら、壁や天井を照らしていた。仏間も、桃と菊の匂いが満たしていた。  

  

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

   

*☺☺☺☺☺*

    

葬儀が終わるまで、祖母はずっと静かに寂しそうにしていました。

父は普段とは変わらない様子でしたが、ずっとお酒を飲んでいたのが印象に残っています。

父なりの別れを告げていたのかもしれません。

  

告別式から火葬場への移動まで 雨の降り続いた一日

【沙河30】

 

f:id:dantandho:20210924172547j:plain

dantandho

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ほどほどの暮らしへ
にほんブログ村

 

PVアクセスランキング にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村