北海道の砂川市で生まれてから高校を卒業するまでのことを振り返っています。
昭和の頃の様子なども思い出せる範囲で書いています。
僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。
母が外に働きに出ていたからかもしれません。
祖母と話をすることが多かったので、考え方も影響を受けています。
北海道を移住し続けたこと、アイヌの人、朝鮮の人、中国の人などのこと。
道路工事や炭鉱で働いていた人たちのこと。
それに、男の子はどのような大人になるべきか。
現在の自分は、その頃に思い描いたものの、途上にあるような気がしています。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (六)①
祖父母の部屋は、一階を南東、南西、北東、北西にほぼ四等分に分けた四つの部屋のうちの、北西側にあったところだった。
北側の壁が物置になっていて、西側が窓の少ない廊下になっていたので、昼でも暗かった。
祖父母はその部屋に厚めのマットレスを敷いて、寝室にしていた。
私は小学校の四五年になるくらいまでは、祖母の布団で一緒に寝ることが多かった。
両親の部屋は二階にあった。妹はそこで寝ていた。
私は何故か両親と寝ると、寝ぼけたり、寝小便をしたりした。お腹を空かせて夜中に目を覚ましたりして、母親を起こすこともあった。
それが不思議と祖母と寝ていると何事もなく、朝まで大人しく寝ていることができたようだ。
幼児の私にとって、二階に行くのが怖かった。
家の西側の廊下を北に進んだ先に汲み取り式の便所があった。
その前から東向きに上がる階段の先に二階の両親の部屋があった。
その経路がすべて暗く、階段の部分に当時は灯が無かったので、夜になると真っ暗だった。暗いので、一人では夜便所に行けず、二階に上がることも出来なかった。
祖父母の部屋へは、廊下も使わず、階段を上ることもなく行けた。そのことも、祖父母の部屋で寝るようになった理由だったのかもしれない。
「沙河」(暖淡堂書房)から
祖父母の部屋、そこで聞いた昔話など 【沙河11】
前の実家は、僕が生まれたときにすでに古かったので、あちこちに暗がりがあって、そこが怖かったです。
西側の廊下、北側の階段。
北西の隅にあった便所。
仏間には達磨の掛け軸や面の壁掛けがあって、それが何度か夢に出てきました。
一人暮らしをするようになっても、同じような夢を何度かみたものです。
子供の頃に感じた恐怖はなかなか消えないようですね。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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