安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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中学の学校祭のこと 豊沼-砂川(二十九)

北海道、砂川、昭和、家族

 

毎年秋に、学校祭があった。演劇や合唱の発表をクラスごとに行った。また父母も参加し、軽食を出す店を開いたり、バザーを行ったりした。

中学三年生の時の演劇をよく覚えている。友人と二人で、いつの間にか演出をする担当になっていて、クラスメートの演技や舞台装置にあれこれ勝手な注文をつけた。当時のクラスメートには不思議な連帯感があった。とてもまじめに演劇に取り組んでいた。僕も、友人も、その当時の頭でそれなりに真剣に考えていたと思う。

各クラスが発表した演劇は順位付けがされて、僕たちのクラスはその年の一位になった。みんなとても喜んだ。学校祭が終了した後、近くの公園に集まり、簡単な打ち上げをやった。

その頃、僕はちょっとしたことが原因だったが、担任の教師とうまくいっていなかった。それは卒業まで続き、卒業後は一度も会っていない。クラスの演劇には、担任の教師はほとんど参加していない。僕が、教師が入りにくい雰囲気をつくっていたためかもしれない。その教師に対する反発のようなもので、僕は演劇に真剣に取り組んだ、という部分も確かにあると思う。

その教師の発言に対する反発は、今でも形を変えて残っていて、僕の生き方に影響を残している。

 

僕が中学生だった頃(昭和50年代の始め頃)は「学校祭」といいました。

娘の学校では「カルチャーフェスティバル」といいました。

「文化祭」の英語訳でしょうか。

確かに「学校祭」だと、いろんな学校が集まって祭典を開きそうなニュアンスですね。

それでも、英訳すればいいということでもないような気もします。

 

小学校の頃は「学芸会」といいました。

演劇、お遊戯、合奏、合唱などの発表会でしたので、それでいいかな。

 

中学生くらいになると、はっきりと嫌いな先生というのができてしまいました。

「そこ、踏み込んじゃダメだろ」というところに踏み込んでくる先生ですね。

 

今はだいぶん許容できるようになっているので、もし会うことがあったなら、それなりに仲良くできそうです。

もう、亡くなったようですが。

 

中学の学校祭のこと 豊沼-砂川(二十九)

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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