安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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自分史

子供の頃の家の、畑や庭の風景 夏の終わりにたくさん飛んでいたトンボ 【沙河7】

北海道の砂川市は空知平野の北端部分。 東側を南北に連なる山並みから、西側を流れる石狩川に向かって緩やかに下りながら、田園地帯が広がっています。 実家の、季節ごとの畑の様子を覚えています。 夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮…

炭鉱産業の斜陽 豊沼-砂川(十八)

小学校の校舎は木造で、とても大きかった。炭鉱でたくさん人が働いていた頃に建てられた校舎で、教室がたくさんあり、さらに建て増しが出来るようにしてあるようだった。だけど、僕が小学校に通っていた頃は、小学生の数が減り続けていた。それで、いくつも…

北海道に入植した祖父母の生涯を振り返る

祖父は北海道入植後、まず道北(比布のあたり)で農業を始めたようです。それから石狩川沿いに少しずつ南下して、最終的には砂川に落ち着きました。 50歳を過ぎた頃から体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。55歳頃に仕事を退職し、家で畑仕事をし…

僕が生まれた頃の、我が家の周囲の様子 道央地区の一般的な農家の庭の風景 【沙河6】

父母が結婚して、祖父母と一緒に住むことになったので、新しく家を建てました。 それも、やはり自分達の手で建てたとのこと。 当時はそれが普通だったみたいです。 入植者、開拓者って、自分でなんでもできないといけなかったのかもしれません。 新しい家は…

忘れ物の帝王後日談 豊沼-砂川(十七)

「忘れ物の帝王」と呼ばれるほど忘れ物をした。そしてその度に辛く、悔しい思いをした。中学や高校、大学に通う間は、忘れ物をすると自分を責め、次は絶対に忘れ物をしないようにと誓ったものだ。それでも忘れ物をした。そんなことを繰り返し、いくつか自分な…

母の家系もまた、北海道入植民 新十津川のことなど 【沙河5】

母の家系も北海道入植者です。 南北に流れる石狩川を挟んで、砂川の西側にある地域の出身。 新十津川と呼ばれる地域で生まれ育っています。 水田が広がる、のんびりとした土地です。 現在の新十津川もあまり変わりませんね。道路は広くなったかな。 母の実家…

忘れ物の帝王 豊沼-砂川(十六)

小学生の頃は、とても忘れ物が多かった。担任の先生からは「忘れ物の帝王」と呼ばれた。うれしくはなかった。が、そう辛いものでもなかった。どう呼ばれようと、平気だったともいえる。それよりも、忘れ物をすること自体が辛かった。 例えば調理実習のある日…

北海道の砂川で、自分達の手で建てた家で暮らし始めた 祖父母がまだ若く、父が子供だった頃のこと 【沙河4】

昭和20年から30年頃。 祖父母は自分達の手で建てた家で家族と暮らしていました。 その家は木造の二階建て。 馬や鶏たちと同じ屋根の下で暮らしていました。 その時に建てた家は、僕が生まれた頃にもまだ残っていました。 納屋になっていて、農作業用の道具を…

廊下に置かれたままの花束 豊沼-砂川(十五)

教室に飾る花を、同級生の何人かが時々持って行っていた。それを僕も家族に話した。それで、祖母が学校に持って行けと、家の畑から花を切って、束ねて僕に持たせた。その日、花を切っているのを待っていたため、学校に着くのが遅くなった。 教室は静かで、先…

北海道の砂川に祖父母が定住し、自分達の土地を手に入れ家を自力で建てたこと 【沙河3】

北海道の砂川に定住したのは、戦前から戦中のことのようです。 当時はまだ砂川町でした。 戦争中は東洋高圧(現三井化学)の社宅に住んでいたと聞いています。 長屋のようなことろだったようです。 僕の父はまだ小学生。 家の近くにあった田圃の畦道を走り回…

東洋高圧工場の社宅 豊沼-砂川(十四)

www.city.sunagawa.hokkaido.jp (東洋高圧時代の工場の写真があります) 僕は、学校帰り、自分の家とは反対方向の、工場の社宅などが立ち並ぶ住宅街に帰る友達の後についていったことが何度もある。ずいぶんと遠回りして自分の家に帰った。その頃の気持ちは…

北海道入植民としての我が家のルーツ 道北に入植してから砂川に移り住むまで 【沙河2】

我が家の家系のルーツは和歌山県にあります。 祖父母の家系の人々は、東牟婁郡というところに住んでいたようです。 おそらくは農家でした。 大正の終わりから昭和にかけて、和歌山県からは多くの家族が南北アメリカ、カナダ、当時の満州、それから北海道など…

雪の積もった通学路 豊沼-砂川(十三)

小学校への通学路は、父の通勤路と同じ道だった。父は自動車を利用して通勤していた。おそらく小学三年生頃からだったと思うが、僕は父の自動車に乗せてもらって通学するようになった。二歳違いの妹も小学校に入学していた。二人で自動車で学校まで送っても…

雨の日の思い出 豊沼-砂川(十二)

ある雨の日、学校からの帰り道、僕はその橋に差し掛かった。夕方のように暗く、雨は不意に強くなった。雨粒は足元の泥水を高く撥ね上げた。撥ね上げられた水は僕のズボンの裾を濡らした。その水は、僕のズボンの裾をまるでつかもうとするようだった。足が急…

実家で飼っていた猫で思い出すこと

実家で飼っていた猫 実家では、家で猫を飼っていました。 灰色と黒と茶色の斑の猫が、僕が思い出せる範囲で一番古くからいた猫で、名前を「ヒトミ」といいました。人によく懐いたおとなしい猫でした。 もう1匹いました。茶色の猫で、名前は「アカ」。これは…

北海道開拓の労働力のこと 豊沼-砂川(十一)

通学路の途中に、コンクリート製の橋があった。田んぼで利用する水を流すための灌漑溝に架けられたものだ。当時、まだ元気だった祖母から、その灌漑溝を造ったときのことをいろいろと聞かされていた。灌漑溝を造る労働力として、たくさんの政治犯や外国人が…

今はもうなくなった古い木造校舎 豊沼-砂川(一〇)

実家から、子供の足で歩いて二〇~三〇分ほどのところにある豊沼小学校に入学したのは、昭和四六年の春であった。当時もやはり道は舗装されていなくて、雪がまだ多く溶け残りぬかるんだ道を小学校まで歩いていった。家がまばらにしか建っていない、田んぼの…

よく水に落ちたこと 豊沼-砂川(九)

子供の頃のことで、よく思い出すのは、何度か水に落ちたこと。水に落ち、水の中から空を見上げたことだ。落ちたのは、家のすぐ前にあった水路であり、親戚の家にあった小さな池であった。それぞれどんな理由で落ちたのかは覚えていない。ただ、覚えているの…

僕と父とバイクのこと 北海道の「自動車第1号」のこと 豊沼-砂川(八)

www.motorcar-museum.jp 僕が生まれた頃、僕の父はバイクに乗っていた。母とは見合い結婚だが、二人が出会った頃は、バイクに二人乗りして一緒に出かけていたようだ。 二人はバイクに乗って、どこに行ったのだろうか。どんな風景を見たのだろうか。ふとそん…

田んぼの中のまっすぐな道 豊沼-砂川(七)

minkara.carview.co.jp 家のすぐ前にあった道は、当時は自動車が通ることはめったになかった。道は今のように舗装されていなく、轍と轍の間、道の真ん中のところに、夏になると雑草が生えた。周囲には田んぼしかなかった。避けなければならないものがなかっ…

石炭ストーブで暖められた部屋 昭和の北海道の暖房 豊沼-砂川(六)

石炭ストーブ 北海道第百科事典(昭和58年、北海道新聞社)より 父母、祖父母の並ぶ真ん中に僕が飯台に手をついて立っているところを写した写真がある。皆、暖かそうな服を着ているので、冬の写真のようだ。髪の毛が生え揃い、自分で立とうとしているので、…

カッコウの鳴き声で目覚めた夏 豊沼-砂川(五)

カッコウ 北海道第百科事典(昭和58年、北海道新聞社)より 実家は田んぼの中に建っていた。20メートルほど離れたところに隣の家があった。が、さらに隣の家までは100メートル近く離れていて、その隣になると、数100メートル先にあった。 家の前の道に沿って…

冬は今よりもずっと雪が多かった 豊沼-砂川(四)

今と比べると、僕が子供の頃(昭和40年代)は今よりもずっと雪が多かった。冬になると道路は雪に埋められた。降り積もった雪を足で踏んで固めた細い道を、近隣の人たちは共同で使っていた。 自動車は走れず、大きな荷物を運ぶ時などは馬車を使ったようだ。祖…

夕張での炭鉱事故 豊沼-砂川(三)

僕が生まれたすぐ後の昭和40年2月22日には、砂川と同じ管内の夕張にあった炭鉱でガス爆発が起こり、六一名が死亡したそうだ。 そのときからずっと、夕張の地中では、石炭が燻るように燃え続けている。そんな話を聞いたことがある。 * 夕張の炭鉱の歴史など…

砂川という街のこと 豊沼-砂川(二)

昭和四〇年頃には北海道に限らず、国内に炭鉱がまだたくさんあった。砂川は近隣に奈井江、上砂川、歌志内と炭鉱があり、炭鉱夫の家族がたくさん住んでいた。 が、化学工業の原料が石炭から石油に代わりつつあり、また大きな炭鉱事故が起こるなどの理由で、昭…

還暦というイベントを迎えるにあたって まずは還暦までの期間を確認してみる

こんにちは、暖淡堂です。 あと少しで還暦を迎えます。 還暦を迎えるにあたって、いろいろと準備をしたり、これまでのことを整理したりしないといけない時期にきています。 まず、自分の還暦までの期間を整理したいと思います。 この記事を書いている時点(2…

自分が生まれた頃を振り返る 豊沼-砂川(一)

僕は昭和四〇年の二月に生まれた。何曜日だったのか、大学生の頃、気になって調べてみた。今であればインターネットで検索すればすぐに答えは見つかるだろうが、その時は大学の図書館に行って、古い雑誌(学術誌)の会議の会告欄を見た。僕が生まれた日は火曜…

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