通学路の途中に、コンクリート製の橋があった。田んぼで利用する水を流すための灌漑溝に架けられたものだ。
当時、まだ元気だった祖母から、その灌漑溝を造ったときのことをいろいろと聞かされていた。灌漑溝を造る労働力として、たくさんの政治犯や外国人が連れてこられたそうだ。そして、犠牲になった人も多いということだった。逃走した共産党員の話なども聞いた。
祖母の話したことだから確かな証拠があるということではないが。しかし、その灌漑溝を造る現場でそのようなことが仮になかったとしても、北海道開拓ではそれらの労働力が使われていたのは事実だ。
祖母は、そのようなことが確かにあったのだと僕に教えたかったのだろう。
*
記事上部にある写真の東側(向かって右手側)を南北に流れているのが灌漑溝です。
地図で追うとわかるのですが、かなり大規模なものになっています。
灌漑溝については、以下の記事をご参照ください。
子供の頃、祖母から聞いた話は、祖母が実際に目にした光景と、人から聞いた情報とが混ざっていますね。
それをわかったうえで、聞いたことを思い返すと、それはそれで面白いものがたくさんある気がします。
北海道開拓の労働力のこと 豊沼-砂川(十一)
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
にほんブログ村