安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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子供の頃の家の、畑や庭の風景 夏の終わりにたくさん飛んでいたトンボ 【沙河7】

北海道の砂川市は空知平野の北端部分。

東側を南北に連なる山並みから、西側を流れる石狩川に向かって緩やかに下りながら、田園地帯が広がっています。

 

実家の、季節ごとの畑の様子を覚えています。

夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮なものが食卓を飾りました。

そして、お盆が近づくと、トンボがたくさん飛んでいましたね。北海道のお盆は旧盆の時期になります。北海道の学校の夏休みの終わり頃です。

秋になると収穫されるものも少なくなり、稲刈りが始まるとトンボはいなくなります。

それから雪虫の飛ぶ季節になり、しばらくすると初雪。12月になれば根雪になって、その後は春まで雪原の一部になってしまいます。

  

今回は、実家で作っていた野菜なども思い出せるまま書いてみた部分です。

  

【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)②

  

 雨が降ったり、風が強く吹いたりすると、枝がしなり、カサカサと葉が鳴った。揺れる影が夜、窓の硝子越しに見えたりした。

 それが子供の私には怖かった。

 家の南側、北側と西側には野菜畑もあった。胡瓜、茄子、トマト、唐黍、インゲン豆、馬鈴薯、大根、人参、南瓜などが毎年場所を変えて栽培された。季節毎の収穫物は我が家の食卓を飾った。

 唐黍の高い穂先を、夏の終わりにはたくさんの赤蜻蛉が飛び回った。

 田圃は家の西側に広がっていた。

 近所の家々が所有する田地に較べれば、我が家の田圃は狭かった。自分の家で消費できる程度の米が得られればいい。そのくらいの広さの土地を、祖父は手に入れていたのだった。

 田圃の南西には雑木林があって、その中は低い湿地になっていた。そこでは山菜や茸が採れた。それらも我が家の食糧となった。

 蕗や芹は田圃の畦道にたくさん生えていた。夕方農作業を終えて家に帰る家族がそれを鎌で切り取ってきて、そのまま味噌汁の具にしていた。

 身体の毒になるような農薬は撒かれていなかった。

  

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

   

減ってしまいましたが、子供の頃は家のすぐ近くに雑木林がたくさんありました。

それが、近いとはいえない隣家との間を、いっそう遠く感じさせましたね。

今思えば、とても寂しいところに家族だけで住んでいたようです。

 

子供の頃の家の、畑や庭の風景 夏の終わりにたくさん飛んでいたトンボ 【沙河7】

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

 

 

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