安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

*本ブログにはスポンサーによる広告が表示されています

母の家系もまた、北海道入植民 新十津川のことなど 【沙河5】

母の家系も北海道入植者です。

南北に流れる石狩川を挟んで、砂川の西側にある地域の出身。

新十津川と呼ばれる地域で生まれ育っています。

 

水田が広がる、のんびりとした土地です。

現在の新十津川もあまり変わりませんね。道路は広くなったかな。

母の実家は、新十津川町で、今も規模の大きな水田経営をしています。

今は僕の従兄が中心になってお米を作っています。

毎年、従兄の作ったお米を、秋の新米の時季に食べるのが楽しみです。

最近は、続けて「ななつぼし」を作っているみたいですね。

 

新十津川町HP 

 

新十津川町は、その町のルーツが奈良県十津川村にあります。

明治22年に発生した水害被害を受け、十津川村の住人が集団で北海道に移住しました。

その人たちが開拓した土地が、現在の新十津川町になっています。

そのあたりのエピソードは、新十津川物語で詳しく知ることができます。

 

新十津川物語

 

  

【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二)④

  

 母の実家は、石狩川を越えたさらに西側、ピンネシリの山裾に向かって緩やかに上り始めた辺りに広い土地を持っている農家である。戦前に入植し、苦労してそこに住みつき暮らしていた。

 その地域は、奈良県に系譜を辿ることが出来る人々が集団で住みついていた。

 奈良県の山中のある地域は、夏から秋にかけて大雨が降ることが多かった。特に明治二二年の大雨は、甚大な被害をもたらした。土砂崩れや川の氾濫などがあり、多くの家族がそこに住み続けることが出来なくなった。

 その土地で家や土地を失った多くの人達が集団で移住し、開拓して出来た集落であった。

 母には兄弟姉妹が数人いたが、多くは生まれた時に亡くなってしまい、最終的には母と、母の兄と妹の三人になっていた。

 学生時代の母は、歌や演劇が好きで、活発で社交的だった。農家を継いだ兄や兄嫁、また二人の間に出来た甥っ子や姪っ子たちとの仲もよかった。

 そして、少し身体の弱い妹を時折助けながら、日々を送っていた。

 父と母は、たまたま両家の共通の知り合いで、我が家の近所に住む、世話好きの女性の紹介でお見合いをした。

 二人はやがて結婚し、祖父母とともに、新しい家での生活を始めた。

 そして私が生まれた。戦争が終わって二〇年が経とうとしている頃だった。

 冬の、雪が降り続く夜だった。

  

「沙河」(暖淡堂書房)から

 

  

 

母の家系もまた、北海道入植民 新十津川のことなど

【沙河5】

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

 

 

f:id:dantandho:20210924172547j:plain

dantandho

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ほどほどの暮らしへ
にほんブログ村

 

PVアクセスランキング にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村