小学校の校舎は木造で、とても大きかった。炭鉱でたくさん人が働いていた頃に建てられた校舎で、教室がたくさんあり、さらに建て増しが出来るようにしてあるようだった。
だけど、僕が小学校に通っていた頃は、小学生の数が減り続けていた。それで、いくつもの教室が使われずに、空き部屋として放置されていたり、物置のような状態になっていた。
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誰もいない教室というのが、たくさんありました。
放課後、その教室の前の廊下を歩くのが怖かったですね。
ガラス窓を通して、薄暗い教室の中が見えるのですが、そこを見るのに、とても勇気が必要でした。
学芸会の練習などで空き教室を使うこともあったのですが、なにかの事情があって、一人きりになったりするのがとても嫌でした。
今の小学生は、そんなことを感じることはあるのかな。
炭鉱産業の斜陽 豊沼-砂川(十八)
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