百人一首第64番目の歌の作者は権中納言定頼(藤原定頼)です。
今回は権中納言定頼について紹介します。
権中納言(藤原)定頼とは
生年が995年、没年は1045年。
官位は権中納言、最終的に正二位まで昇ります。
藤原道長の息子、藤原頼通が摂政だった時代に、頼通と衝突するような出来事があったようです。
その際に、謹慎させられています。
この藤原頼通との対立は終生続いたようです。
晩年、1043年兵部卿を兼任しますが、1044年に体調が悪化。
その後出家し、1045年1月に亡くなります。
時代背景
藤原定頼は、百人一首の60番目の歌を紹介した時に出てきました。
そこでは、小式部内侍にやりこめられています。
この歌に出てくる宇治の川とは、京都府宇治市を流れる宇治川のこと。
平安の頃は貴族の別荘地だったようです。
宇治川には朝霧が立ち込めることが多かったようですね。
この藤原定頼の歌は、朝霧が消え始める様子を詠ったもの。
別荘に泊まった明朝の、散歩のときに見た光景を表現したものでしょうか。
百人一首の歌
歌:朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木
歌の意味:夜が明ける頃、宇治の川に立ち込めていた霧がところどころで消えようとしている、そしてそこに、網代木が少しずつ見え始めているよ。
「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに」 権中納言定頼
小式部内侍にやりこめられた貴族
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