恋歌を多く書き残した女流歌人です。
今回は和泉式部について紹介します。
和泉式部とは
生年が978年頃、没年は不詳です。
恋愛を多く経験した女性で、初め橘道貞と結婚し小式部内侍を産みます。
小式部内侍は百人一首60番目の歌の作者ですね。
その後、冷泉天皇の皇子、為尊親王と、さらには敦道親王とも恋愛関係になったようです。
恋多き女性でした。
二人の親王とはいずれも死別しています。
この再婚までは、正式には橘道貞とは婚姻関係にあったともみられています。
再婚後は藤原保昌の任地、丹後で暮らしていたようです。
時代背景
晩年の和泉式部は京都に戻り、阿弥陀如来に帰依して出家します。
戒名は専意法尼。
藤原道長が建立した東北院誠心院の初代住職となります。
それで、最終的な戒名は誠心院専意法尼。
ここにもまた藤原道長が出てきますね。
百人一首の歌
歌:あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな
歌の意味:私はもうすぐ死んでしまうでしょう。せめてあの世への思い出として、今もう一度逢うことができないものでしょうか。
「紫式部日記」では、紫式部は和泉式部の歌の才能を高く評価しています。その内容から「天才肌」の人と思われたようです。
和泉式部自身は、和漢の文学を学び、それを自身の歌作りに活かしていました。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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