時代は保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)を経て、平清盛が強大な権力を持ちつつあった頃でした。
その後、藤原定家は平氏の滅亡、鎌倉幕府の成立、承久の乱による後鳥羽院の配流などを見ながら、自らは和歌の才能を磨き続けます。
百人一首の成立は1235年。
鎌倉幕府から削除するように指示されていましたが、結局は後鳥羽院の歌も含めた百首が選ばれました。
【百人一首の歌人】では、これまで天智天皇から元良親王まで、それぞれの人物の時代背景に焦点を当てて紹介してきました。
全体の1/5まで来ましたので、一旦まとめたいと思います。
ざっと時代を振り返りますと、
大化の改新で天皇中心の国家体制確立のための大きな一歩を進めた天智天皇に始まり、
中国との外交関係の緊張による防人の派遣、
一方での京の文化の成熟、
さらには東国での武士層の台頭と平将門、藤原純友らの武力による反乱などが起こっている時代になります。
また、藤原北家が権勢の中心にいて、天皇との権力争いなども繰り広げられていました。
- (1)天智天皇
- (2)持統天皇
- (3)柿本人麻呂
- (4)山部赤人
- (5)猿丸太夫
- (6)中納言家持
- (7)阿倍仲麻呂
- (8)喜撰法師
- (9)小野小町
- (10)蝉丸
- (11)参議篁
- (12)僧正遍昭
- (13)陽成院
- (14)河原左大臣
- (15)光孝天皇
- (16)中納言行平
- (17)在原業平
- (18)藤原敏行朝臣
- (19)伊勢
- (20)元良親王
(1)天智天皇
(2)持統天皇
(3)柿本人麻呂
(4)山部赤人
(5)猿丸太夫
(6)中納言家持
(7)阿倍仲麻呂
(8)喜撰法師
(9)小野小町
(10)蝉丸
(11)参議篁
(12)僧正遍昭
(13)陽成院
(14)河原左大臣
(15)光孝天皇
(16)中納言行平
(17)在原業平
(18)藤原敏行朝臣
(19)伊勢
(20)元良親王
引き続き、古典の一つ、百人一首を、歌人に注目して紹介していきます。
どうぞご贔屓に。
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