安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

*本ブログにはスポンサーによる広告が表示されています

「難波潟短き蘆の節の間も」 伊勢 恋多き才女

百人一首第19番目の歌の作者は伊勢。

藤原北家の一人、伊勢守藤原継蔭の娘といわれています。

それで伊勢。

 

今回は伊勢について紹介します。

 

伊勢とは

宇多天皇の女御で藤原基経の娘温子に仕えます。

その間、温子の兄弟と相次いで恋愛関係になります。

また宇多天皇の寵愛も受け、皇子を出産するなど、摂関家天皇などに愛された女性でした。

和歌の才もあり、藤原定家はこの歌を高く評価し、百人一首に選んでいます。

 

時代背景

この頃は権勢の中心にいた藤原北家と皇室との間で権力闘争が繰り広げられた時代。

権勢の基盤を固めようとする藤原氏と、その権力を奪い返そうとする天皇たちとの力比べが続いていました。

ちなみに宇多天皇即位の887年頃、中国の唐は黄巣の乱の後もさらに崩壊の一途を辿ります。

遣唐使は894年に菅原道真の建言を入れて中止。

衰退する唐から学ぶのが困難との判断だったかもしれません。

907年に唐は滅びます。

 

百人一首の歌

歌:難波潟短き蘆の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとや

歌の意味:難波潟の短い蘆の節の間ほどの短い時間も、会うことなく過ごせというのでしょうか。

 

「難波潟短き蘆の節の間も」 伊勢 恋多き才女

 

身分の高い人に次々と愛された人のようです。

そこから類まれなる美貌の持ち主ともいわれています。

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

f:id:dantandho:20210924172547j:plain

dantandho
にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
  にほんブログ村ランキングに参加しています

 

PVアクセスランキング にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村