前回は「印」刷のことを紹介しました。
今回は写本について簡単にまとめたいと思います。
テーマは、写本は誰が書いていたか、です。
古代ギリシャなどの書籍の写本
例えばプラトンの本などは、誰が書き写していたか。
おそらくは蔵書家に雇われていた人か、あるいは奴隷によって書き写されたものが多いと思われます。
書物を保有するというのは、ある意味ステータスシンボルです。
自分の図書館を充実させるために、専門の職人を雇っているということもあるでしょう。
ちなみに、当時の奴隷とは、戦争の捕虜やなんらかの刑罰によってその身分に落とされている人たちのこと。
その中には高い学歴を持った人もたくさんいたでしょう。
そのような人は、書籍の筆写は、辛い労働でもあり、知的好奇心を満たす作業でもあったかもしれません。
聖書
これはよく知られているように、教会の中で写本が作られていました。
さまざまな装飾を施されたものが多く残っていますね。
印刷技術が発達した後は、広く布教のために聖書は作られました。
手で筆写していた頃は、大量に作成することは難しいので、教会の権威を高めるためとか、筆写する人自身の修養のためであるとか、そういう目的で行われていたと思われます。
この頃の聖書は、一冊一冊に特徴があり、それぞれ美術品のようなものとして扱われることもありますね。
東洋の古典、仏典など
「源氏物語」、「枕草子」などは、それぞれ自分のために書き写されていたようです。
それがさらに後の時代にも書き写されて、そのうちのいくつかが現在にまで残っています。
そのおかげで私たちが平安時代の文学に触れることもできるわけですね。
平安時代には、字の上手な人、いわゆる能書家に文章を書き写してもらうということもあったようで。
それらは断片的に襖絵などとして残ったりしますね。
仏典は、お寺で修行している僧や、仏教に帰依した人が自分のために写経するということが多いですね。
あるいはお寺に納めるために写経する、とか。
文字に性格が表れているようで、面白いものです。
印刷機がなかった頃の出版はどうしていたか
写本の場合
印刷技術が発達する前は、自分の書いたものが多くの人に知られるために、たくさん書き写されるのをむしろ歓迎していたと思われます。
何かを書くのは、自分が考えていることを知ってもらうためであって、それで経済的な報酬を得ようとは考えていない時代のことですね。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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