三十六歌仙の一人。
平姓の人ですね。
臣籍降下で出来た平家の一人ですが、その系譜には若干不明な部分があるようです。
赤染衛門の実父でもあります。
今回は平兼盛について紹介します。
平兼盛とは
生年は不明です。没年は991年。
平安時代中期の人です。
平兼盛は和歌の才能が高く評価されています。
和歌の作品は、一句一句時間をかけて作られていたようです。
それでも技巧的な、難解なものになることはありませんでした。
そこが高く評価されている部分かもしれません。
時代背景
平安時代初期の終わり頃から中期にかけて、中国大陸では唐の滅亡、五代十国時代を経て宋による統一と、激動の時代が続いていました。
この間、中国大陸北東部で契丹建国(916年、後に、遼と改称)、高麗建国(918年)などがあり、そのような動向は日本にも知らされていたでしょう。
日本でも平将門の乱(935年〜)、藤原純友の乱(939年)が起こるなど、騒乱の続く、不穏な時代でもありました。
強大な唐が滅び、その後は武力で政権を奪い合うという状況が続いたわけです。
一方で、京では藤原北家の権勢は強くなり続けます。
藤原道長も乱暴者でした。
その乱暴者の藤原氏が頂点に立つ時代はもうすくです。
百人一首の歌
歌:忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
歌の意味:隠していたのに表に出てしまっていたのか、私の恋心は。誰かを思っていますね、と他人に問われるほどに。
「忍ぶれど色に出にけりわが恋は」 平兼盛
内裏歌合での名勝負の勝者となった歌
後の保元物語、平治物語、平家物語、太平記などに続く軍記物の始まりになります。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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