第12番目の歌の作者は僧正遍昭。
出家前は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、六歌仙、三十六歌仙に選ばれた一人でした。
宮中の行事で舞を舞う少女たちのことを詠んだ歌で、彩のある、とても華やかな内容のものです。
今回は僧正遍昭紹介します。
僧正遍昭とは
平安時代前期の人で、桓武天皇の孫になります。最終的な官位は左近衛少将従五位上でした。百人一首に選ばれた歌は出家前に詠んだもの。華やかな、あるいは若干派手な歌と言えるかもしれません。出家後には知的な歌を詠むようになりました。
仁明天皇に寵遇されますが、天皇崩御の時に出家します。出家後は花山の元慶寺を建立。そのため花山僧正とも呼ばれます。
時代背景
僧正遍昭は唐から帰国した円仁、円珍らに師事しました。遣唐使派遣が見直される少し前の時期になります。遣唐使は894年に菅原道真の建議によって廃止されました。
京では藤原氏北家から才略の優れた藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を握り、866年に摂政に任ぜられました。藤原氏が強大な権力を掌握し始めた時代になります。これに対抗しようとした宇多天皇は菅原道真を重用し、政治の刷新を進めます。しかし次の醍醐天皇の時に藤原時平の讒言により、菅原道真は太宰府に左遷され、そこで亡くなりました。藤原氏への権力の集中が一層進むことになった出来事です。
百人一首の歌
歌 天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
歌の意味:天高く吹く風よ 雲の中の天女たちの通り道を閉じておくれ 乙女たちの姿をもう少しここにとどめておきたいのだから
僧正遍昭 彩のある歌を詠む
引き続きどうぞご贔屓に。
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