三十六歌仙の一人です。
今回は坂上是則について紹介します。
坂上是則とは
生年は不明、没年が930年頃。
大和大掾に任じられていますので、それで吉野への愛着が強かったのかもしれません。
最終官位は従五位下・加賀介。
地方官に始まり、地方官に終わった人でした。
桜の名所の吉野山もあります。
それで吉野を古里と思う人も多かったのでしょう。
そういえば、百人一首には都の周辺に降る雪のことがいくつかの歌で詠まれています。
当時は雪が降り積もることがよくあったのでしょうね。
時代背景
平将門の乱(935年)、藤原純友の乱(939年)の前夜といえる時期。
政治の中心では藤原北家が力を強大化させていました。
そんななか、文学史的には画期的なことが起こります。
万葉集などにまとめられた和歌(大和歌)は、平安初期の漢文学隆盛に圧迫されていました。
この頃のことを「国風暗黒時代」とも言うようです。
しかし、9世紀の後半に、六歌仙(在原業平、僧正遍昭、小野小町、大伴黒主、文屋康秀、喜撰法師)らが出てきて次第に盛んになります。
そして、905年、醍醐天皇による勅撰和歌集「古今和歌集」が成立しました。
勅撰和歌集はこの古今和歌集から、室町時代中期の「新続古今和歌集」まで続き、これらは「二十一代集」とも呼ばれています。
百人一首の歌
歌:朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
歌の意味:明け方に見ると、まるで有明の月の光で明るいのかと思ってしまったが、吉野の里には白雪が降り敷いていたのか。
今年は吉野の里に雪は降るのでしょうか。
自分の郷里(北海道)には間違いなく降るでしょうね。
降るだけでなく、厚く積もります。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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