安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」 崇徳院 騒乱の時代前夜

百人一首第77番目の歌の作者は崇徳院すとくいんです。

前回の藤原忠通とともに保元の乱の中心人物。

崇徳院は騒乱の敗者となります。

 

今回は崇徳院について紹介します。

 

崇徳院とは

生年1119年、没年は1164年。

第75代天皇です。

鳥羽天皇の第一皇子。

母は待賢門院(藤原)璋子たまこ

ただ、本当の父は鳥羽天皇の父、崇徳天皇の祖父にあたる白河天皇であるとの疑惑があります。

そのためか鳥羽天皇崇徳天皇を嫌います。

それが保元の乱の一因とも考えられています。

 

崇徳天皇保元の乱に敗れ、讃岐国に配流となります。

その地で亡くなりました。

髪を伸ばし放題にし、爪を切ることもなく、生きながら天狗になったとも言われています。

 

百人一首の歌は、保元の乱の前に作られたもの。

美しい風景を題材にした「恋歌」になっています。

その歌を作った頃と、保元の乱に敗れた後の姿と。

ものすごく変化が大きいですね。

激動の人生を歩んだ人だったと言えます。

 

時代背景

菅原道真平将門崇徳院は、日本の三大怨霊と呼ばれているようです。

確かに、それぞれ伝説になっていますね。

 

www.oiran-taiken.com

 

この三人の中では、平将門以外の二人は、京都から遠くへ移動させられ、その地で亡くなりました。

その地でそれぞれあまり恵まれない最期を迎えたようですが、実際に京にいる人たちを呪ったのかは疑問がありますね。

どちらかというと、とても強い郷愁の念を抱いていたということではないでしょうか。

 

百人一首の歌

歌:瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

歌の意味:瀬の流れが速いので、岩に打ち当たる滝川の水が二つに裂かれるが、最後にはまた一つになるように、愛しいあの人ともまた会おうと思うのだ。

 

 

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」 崇徳院

騒乱の時代前夜

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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