定家らの時代にもその歌と生涯は愛されていましたが、現代でも西行法師の歌は多くの人に読み継がれていますね。
今回は西行法師について紹介します。
西行法師とは
生年は1118年、没年は1190年。
1140年に出家する前は俗名佐藤義清(さとうのりきよ)といい、武士でした。
鳥羽院の頃、北面武士として奉仕していましたが、この頃にはすでに歌人としての評価を得ていたようです。
出家後は崇徳院に会いに四国に出かけたり、東大寺再建のための勧進に出かけた東北で藤原秀衡に会ったり、鎌倉で源頼朝に歌道の話をしたりした様子が「吾妻鏡」に記載されています。
この行動範囲の広さが、西行法師の生涯の特徴の一つともいえそうですね。
ちなみに、西行法師の歌では、次のものを好きな人も多いようです。
願はくは 花の下にて春死なむ その二月(きさらぎ)の望月のころ (山家集)
時代背景
西行法師を主人公に置き、平清盛との交流やその時代の事件を題材にした夢枕獏さんの作品があります。
夢枕獏さんの作品は、すぐに引き込まれて一気読みしてしまうのが多いのですが、これもその一つ。
おまけに、源平の合戦前夜の雰囲気もよくわかります。
ハマること請け合い。
百人一首の歌
歌:嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
歌の意味:嘆けとでもいって、月が悲しい物思いをさせるのだろうか、そんなはずはないのに、まるでそうだとでも言うかのような、私の涙よ。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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