安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「秋風に たなびく雲の 絶え間より」 左京大夫顕輔 白河院、崇徳院、藤原忠通に近仕した六条家歌人

百人一首第79番目の歌の作者は左京大夫顕輔さきょうのだいぶあきすけ藤原顕輔)です。

白河院崇徳院藤原忠通らに仕え、勅撰集の撰集を行っています。

 

今回は左京大夫顕輔について紹介します。

 

左京大夫顕輔とは

生年は1090年、没年は1155年。

保元の乱(1156年)の前年に亡くなっていますね。

官位は正三位左京大夫

白河院の側近であった藤原顕季の子で、父が所蔵していた人麿影を譲り受けました。

 

setsuwa-hyakkei.com

 

これが世襲的歌道家の始まりとされています。

この人麿影は、藤原顕輔が亡くなる時、次男の藤原清輔に譲り渡されます。

崇徳院の命により勅撰集「詩歌和歌集」を撰集しています。

藤原顕輔は、その後の保元の乱崇徳院の配流などを知らずに亡くなりました。

 

時代背景

保元の乱の前の、平清盛に関係するエピソードを紹介します。

平清盛は1146年に安芸守に任命されます。

その後の1168年(1152年に修復)に、安芸の宮島にある厳島神社を再建。

平家の隆盛とともに厳島神社も栄えました。

nihonsankei.jp

 

現在残る社殿は1240年〜1243年に再建されたもの。

戦国時代にかけて社勢は衰えますが、毛利元就が崇拝したことや、豊臣秀吉が西国遠征の際に参拝したことなどで、勢いを取り戻しています。

 

大学院の学生だった頃、一度、宮島に行ったことがあります。

厳島神社にも立ち寄ったのですが、その頃はカキフライを食べることと、もみじ饅頭を買うことに気を取られていました。

まだまだ歴史や古典文学の面白さを知る前のことです。

 

百人一首の歌

歌:秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

歌の意味:秋風にたなびく雲の切れ間から、漏れ出るような月の光の、なんと明るくすがすがしいことよ。

 

 

「秋風に たなびく雲の 絶え間より」 左京大夫顕輔

白河院崇徳院藤原忠通に近仕した六条家歌人

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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