百人一首第76番目の歌の作者は法性寺入道前関白太政大臣、藤原忠通です。
動乱の時代の中心で生きた人です。
今回は法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)について紹介します。
法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)とは
生年1097年、没年は1164年。
その後も崇徳天皇、鳥羽天皇、後白河天皇の3代にわたって摂政、関白を務めました。
晩年には後白河上皇により、肉親と諍いを起こしたことを咎められて失脚。
政治の中心に復帰することもありましたが、最終的には出家し、亡くなります。
藤原忠通は崇徳院とは保元の乱で戦うことになりますが、内裏歌合はその少し前に開催されました。
藤原忠通は、実生活では権力闘争の真っ只中にありました。
しかし、歌の世界ではそのような状況から解放された、おおらかな情景を歌いました。
後の人たちから名歌と認められる作品は、そのような過酷な実生活を生きていたからこそ作られた作品かもしれません。
時代背景
これらを通じて源氏と平氏が台頭し、その後の平清盛や源頼朝らの大規模な騒乱に繋がっていきます。
百人一首の後半の歌は、そのような大変革の時代と重なっています。
百人一首の歌
歌:わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波
歌の意味:大海に漕ぎ出して見渡してみると、空の雲と見間違えるほどの沖の白波だ。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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