この人は三十六歌仙の一人でしたが、流行病のため二〇歳(二一歳)でなくなりました。
今回は藤原義孝について紹介します。
藤原義孝とは
生年954年、没年は974年。
仏教の信仰心が厚かったと伝えられています。
また美貌の人でもありました。
若くして亡くなりましたが、その理由が疱瘡。
平安の頃は疱瘡が流行ると多くの人が亡くなりました。
時代背景
藤原義孝の亡くなった994年前後から数年の間、京都では疫病が流行りました。
994年に流行ったのが疱瘡(天然痘)。
この時、五位以上の人たちが多く亡くなっています。
官位の高い人たちが病に倒れたため、通常であれば官位が上がるのに時間がかかるものが、若くして昇任されるということも多かったようです。
藤原道長が高位に上ることができたのは、この頃の疫病の流行のおかげでもあるかもしれません。
百人一首の歌
歌:君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思いけるかな
歌の意味:あなたと会えるのならば惜しくはなかったこの命だが、あなたに会ってしまった今は、その命も長くあってほしいと思うようになりました。
「君がため惜しからざりし命さえ」
藤原義孝 病に倒れた薄命の貴公子
藤原北家の権勢の強化には疫病も一役かっていたかもしれません。もしかして、今回のコロナの陰で、同じようなことがどこかで起こっているかも…
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
にほんブログ村ランキングに参加しています