安心感の研究 by 暖淡堂

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昭和の砂川:豊沼駅の思い出 続きの続き

豊沼駅のことを思い出していると、なかなか終わりません。

今回は、さらに続き。

 

現在の砂川の様子は、ストリートビューのリンクでご確認ください。

 

豊沼駅のこと(3)

豊沼駅から西側に三井化学(旧東洋高圧、トーアツ)の工場がある。
かつては火薬や肥料を生産していたらしい。
最近はバイオ関連の研究施設などになっているようだ。
さらに石狩川に向かって行くと、北海道電力の火力発電所がある。
この火力発電所は、以前は石炭を燃料としていた。
石炭と、石狩川の水を利用した発電所だったのだ。

石炭は、砂川の東側をほぼ南北に走る夕張山地のそこここから採掘されていた。
その石炭を運ぶために、鉄道が利用されていた。
豊沼駅の南西側に、貯炭場があった。
子供の頃、石炭の大きな山を見たように覚えている。
それに、豊沼駅は、たくさんの汽車が出入りする、大きな駅だった。

秋が深まると、暖房手当が支給されていた。
小型のトラックに積み込んだ石炭を、それぞれの家庭に配っていた。
なので、暖房手当はそのまま石炭手当でもあった。
この石炭は、もしかしたら駅の近くにある貯炭場から運ばれて来ていたものかもしれない。

駅の出入り口の大きなガラス戸は、今も変わっていない。
横に引いて開く戸になっている。
子供の頃、駅前のロータリーで野球をやっていると、たまに、ファウルチップがこの戸に当たって、大きな音をたてた。
当時は駅員さんがいたので、その音を中で聞いていたと思うが、叱られることはなかった。
ガラスが割れなかったからだろうが、大らかな時代でもあった。

待合室の中には、鉄道で運ばれる荷物の受け渡し口があった。
たしか「チッキ」といった。
両親や祖父母が荷物を受け取るときに、ついて行ったことがある。
横に広い窓口で、荷物を受け取った。
その荷物を、手で持って帰った。
今であれば、自宅まで車で持ってきてくれる。
そのシステムがなかった時代は、鉄道で荷物を送れることがとても便利だったのだろう。

駅の中には小さな売店があった。
それをキオスクというのだと、大人から教えてもらっていた。
そこで、「小学一年生」などの雑誌を買ってもらった。
自宅の近くで、雑誌が買えるのは、駅のキオスクだけだった。
キオスクでは、汽車で出かける時のおやつなども買った。
冷凍みかんを買って、汽車の中で食べた記憶がある。
祖父母と、旭川方面に住んでいる親戚に会いに行った時だった。

冬になると、待合室の中に、ストーブが置かれた。
石炭ストーブだ。
そのストーブを囲むようにベンチが並べられた。
雪が降る中、駅に着くと、このストーブの温もりが嬉しかっただろう。
汽車から降りた人も、これから来る汽車で出かける人も、皆、このストーブの周りで身体を温めた。
ベンチの近くでは、外套などから落ちた雪が溶けて、水たまりができていた。

ストリートビュー:JR函館本線豊沼駅

 

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昭和の砂川:豊沼駅の思い出 続きの続き

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