安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「田子の浦にうち出でてみれば白妙の」 山部赤人 歌聖が歌う富士の絶景

雪を被る富士山

富士山

 

百人一首の4首目は奈良の宮廷歌人山部赤人によるものです。

絵画や写真を見るように、風景がありありと目に浮かびます。

36歌仙の一人ともされていて、自然叙景を得意とした歌人です。

 

今回は山部赤人について紹介します。

 

山部赤人とは

官位は高くはなかったようですが、聖武天皇に仕えていたと考えられています。聖武天皇随行した先で、自然風物を歌に詠んだものが残されています。人物についてはあまり記録が残されていません。百人一首に選ばれている歌は、もとは万葉集に収録されていたものでした。田子の浦から眺めた富士山の美しさがとてもよく表現されてます。

 

時代背景

朝鮮半島出兵での敗戦や壬申の乱などを経た日本は、古事記日本書紀の編纂を行うことで国家としての統一と安定化を図りました。また唐とは、戦では敵対しましたが、積極的に遣唐使を送り、その文化の吸収に勤めました。聖武天皇の頃には、唐の文化の影響を受けた天平文化が栄えました。天平文化の中心にあったのが仏教です。東大寺の大仏や大仏殿、法隆寺の夢殿、校倉造の正倉院宝庫などの建築物、東大寺法華堂の日光、月光菩薩像などの彫刻が残されています。

このように文化における大きな発展があった時代ですが、政治的な動揺もありました。藤原氏と対立した長屋王の排斥(長屋王の変、729年)、対新羅強硬派の藤原広嗣が起こした反乱(藤原広嗣の乱、740年)などがあり、その影響を恐れた聖武天皇は何度も都を移ったどそうです。

 

百人一首の歌

歌 田子の浦にうち出でてみれば 白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

歌の意味:田子の浦にでて眺めれば、真っ白い富士の山頂にしきりに雪が降っている

 

山部赤人 歌聖が歌う富士の絶景

 

古典の一つ、百人一首を、歌人に注目して紹介していきます。

引き続きどうぞご贔屓に。

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dantandho
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