第13番目の歌の作者は陽成院。
第57代陽成天皇が退位後上皇として過ごしていた間に読んだ歌です。
恋歌で宇多天皇の妹の綏子内親王に送ったものと言われています。
今回は陽成院を紹介します。
陽成院とは
陽成院は清和天皇の子で、9歳で即位します。在位中に摂政の藤原基経との関係がこじれたようで、清和上皇が崩じた後は藤原基経の協力が得られなくなります。それで17歳で退位し上皇となります。今の感覚でいうと子供で即位し、大人になる前に退位した天皇という感じですね。
退位後は陽成院の祖父光孝天皇が即位します。55歳でした。光孝天皇はわずか3年で崩御します。その後に即位したのが宇多天皇でした。百人一首に選ばれている歌を送った綏子内親王は光孝天皇の娘、宇多天皇の異母妹になります。
陽成天皇の母は藤原高子。摂政の藤原基経の妹で、「伊勢物語」では二条后(にじょうのきさき)と呼ばれている人物です。陽成天皇の退位をめぐっては、藤原基経と藤原高子との間の兄妹間の確執が背後にあったとも考えられています。
時代背景
京では藤原冬嗣の子藤原良房、その子藤原基経らが、天皇の外戚として政治の実権を握り、その権力基盤を固めた時代でした。この一族が藤原北家と呼ばれています。藤原北家には、後に海賊として乱を起こしたと言われる藤原純友がいます。この時代は良きにつけ悪しきにつけ、その中心には藤原氏がいたということかもしれません。
この頃、中国大陸では黄巣の乱が起きていました。これにより、唐は実際上は解体され、軍閥が割拠する状態になります。この状態を収束させるのが後梁を建国する朱温(朱全中)でした。
百人一首の歌
歌:筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
歌の意味:筑波嶺の峰から落ちるみなの川の水のように、あなたへの恋心は積もり重なり深い淵のようになっているのです
引き続きどうぞご贔屓に。
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