36歌仙の一人なのですが、この人もその正体がよくわかりません。
生没年不詳。太夫というので、なんらかの官位についていたと考えられるのですが、その記録がありません。
作品だけが知られる、不思議な人です。
今回は猿丸太夫について紹介します。
猿丸太夫とは
山背大兄王の子、弓削王であるとか、天武天皇の子弓削皇子であるとか、いくつかの説があるようです。梅原猛さんは、猿丸大夫は柿本人麻呂と同一人物であるとの仮説を紹介していますが、はたしていかがなものでしょう。まだしばらくの研究が必要なようです。
時代背景
柿本人麻呂とほぼ同時代の人と考えられています。他に同時代の人といえば中納言家持、山部赤人、遣唐使として唐に渡っていた阿倍仲麻呂などがいます。都は平城京、いわゆる奈良時代の人です。律令制による国家運営が進められていましたが、長屋王の変など、実力者同士の争いなども続いていた時代でした。そんな中にも、天平文化が栄え、美術や文学の発展がありました。
百人一首の歌
歌 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
歌の意味:紅葉を踏み分けて奥山に入ると、鹿の妻を呼ぶ鳴き声が聞こえた。秋はなんと物悲しいものか。
この歌を読むと、さだまさしさんの曲を思いだします。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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