安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ」 天智天皇 庶民の視点を持てる国家指導者

百人一首の第一首の作者は天智天皇とされています。

粗末な暮らしをしている人物の歌のような雰囲気ですが、様々な大改革を自身で進めてきた国家の指導者にようものです。

こんな歌を詠んだ天智天皇とはどんな人物か気になりませんか?

そして、どんな時代に活躍した人でしょうか。

 

今回は天智天皇について紹介します。

 

天智天皇とは

大化の改新として知られる国家の大改革は、乙巳(いっし)の変(645年)で中大兄皇子中臣鎌足らが蘇我入鹿を誅殺したことから始まります。蘇我氏は皇族から別れてできた一族で、天皇家に対して外戚の立場にあり、財政面の権限を掌握して大きな力を持っていました。蘇我入鹿らは、聖徳太子の子、山背大兄王を攻め、その一族を滅ぼすなど、専横ぶりが際立ってきました。その蘇我氏の力を排除し、自ら政治の中心に立った中大兄皇子が、後の天智天皇です。天智天皇として即位する前に、朝鮮半島で行われた白村江の戦(663年)の指揮をとります。戦には勝てませんでしたが、都に戻り、即位します。

 

時代背景

当時の日本は、対外的な交渉なしに国家を運営することは出来ませんでした。朝鮮半島百済新羅とは人の往来があり、軍を派遣までして、その関係の維持強化を図りました。その背後には、大国唐の存在が無視できなかったという理由もあります。

この頃、興味深い出来事が日本の北で起こります。阿倍比羅夫蝦夷への遠征です。日本海側の男鹿半島辺りから北上し、北海道にまで渡っています。軍として行動していますが、必ずしも軍事的に攻めるというのではなく、初めの接触は友好的な交易の形を模索するようなものだったそうです。

この蝦夷への遠征も、朝鮮半島への出兵も、当時の日本が決して島国として孤立していたわけではないことを示していますね。

 

百人一首の歌

秋の田の かりほの庵(いお)の苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は露に濡れつつ

歌の意味:秋の田に建てた粗末な小屋の苫葺き屋根は目があらいので、私の着物の袖は漏れてくる露で濡れている

 

天智天皇 庶民の視点を持てる国家指導者

 

古典の一つ、百人一首を、歌人に注目して紹介していきます。

引き続きどうぞご贔屓に。

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dantandho
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