百人一首第37番目の歌の作者は文屋朝康です。
今回は文屋朝康について紹介します。
文屋朝康とは
この人も生没年がはっきりしません。平安時代前期の人のようです。
古今和歌集が成立したころに歌人として活動をしていたようですが、古今和歌集には次の歌1首のみが選ばれています。
秋の野に置く白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸筋(「古今和歌集」秋上)
これも白露を玉(真珠)に見立てた歌になっています。
文屋朝康は、秋の朝の白露が置かれた野の風景が好きだったのでしょう。
時代背景
早朝の露は、陽が上るにつれて、やがて消えていきます。
はかないものです。
その露を玉と見る。
玉とは魂を暗示します。
その魂は、朝の白露と同じようにはかないもの。
そのような連想もあったのではないかと思います。
平安時代の始まりには、遷都後の賑わいがあったでしょう。
新しい世への期待も高かったと思います。
そんなざわめきの中、秋の早朝の、野に敷く白露に目をとめ、はかなく消えていく様子をじっと見つめている。
そんな詩人の心で生きていた人もいたのでしょうね。
百人一首の歌
歌:白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
歌の意味:枯れ葉の敷きつめた秋の野に白露が置かれている。それはまるで糸でとめられていない玉が乱れ散ったかのようだ。
「白露に風の吹きしく秋の野は」 文屋朝康
散る玉に想うはかなさ
平安時代は、誰もが奥ゆかしいばかりでもなかったようです。その辺りは以下の記事もご参照ください。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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