この歌は40番目の平兼盛の歌と、村上天皇の内裏歌合で優劣を競ったもの。
村上天皇は平兼盛の歌を勝ちとしましたが、いずれの歌も優れていたため、後世に名勝負として伝えられました。
今回は壬生忠見について紹介します。
壬生忠見とは
生没年不明。
役職は摂津大目との記録があります。
目とは国司の役職。
国司の役職は上から使、守、介、掾、目となっていて、目は従八位下の位階のものでした。
壬生忠見は高位の人ではなかったようです。
それでも勅撰和歌集には36首入っています。
歌の才能は広く認められていました。
時代背景
村上天皇の内裏歌合が行われたのが960年。
中国大陸では五代十国の混乱の中から宋が抜け出します。
その後、20年ほどをかけて、中華の統一を進めます。
唐の末期から五代十国にかけて、中国の周辺部にいた多くの民族がそれぞれ力をつけて、国家を立ち上げました。
宋が建国した頃も、北部の契丹族による遼は大国として存続していて、遼との関係構築に力を注ぐ必要がありました。
百人一首の歌
歌:恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
歌の意味:私が恋をしているという評判がもう立ってしまった、まだひそかにあの人を思い始めたばかりだというのに。
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」 壬生忠見
内裏歌合での名勝負
この時期、中国大陸の混乱は次第におさまりつつあります。
日本では藤原氏の権勢の絶頂期を迎えますね。
その周辺部分では、地方で武力を背景にした新たな勢力も成長を続けています。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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